プラハ城(プラハ)

ヴルタヴァ川東岸から望むプラハ城

百塔の都・プラハを象徴し、歴代王が居城した豪華な城

チェコ語名

Pražský hrad

住所

Pražský hrad, Praha

訪城日

2012/05/31

歴史等

プラハ城の築城については史実と伝説(リブシェ伝説など)が混在しているが、確かなところでは、プラハ城の歴史は9世紀(870年頃)にさかのぼる。プシェミスル家のボジヴォイ1世が880年~890年に建設し、前ロマネスク様式の要塞城が、土塀と木柵に囲まれていたと考えられ、10世紀までに町は現在のフラチャニとヴィシェフラド要塞周辺まで広がった。
973年にプラハはカトリックの司教区となり、1232年から35年にかけて都市国家として自治権を確立すると、プラハ城は王の居城とともに、宗教的権威の中枢としての役割も果たすようになった。
しかし、1280年の突風で破壊され、ヴァーツラフ2世とその息子ヴァーツラフ3世は、修復を試みたが、工事は進まず、その後王位に就いたルクセンブルク家ヨハン王は城をかえりみなかったため、城は荒廃した。
14世紀中盤、フランス宮廷で成長したカレル4世の統治下で、ようやく新王宮と大聖堂の建造が行われ、城は今までにない繁栄を迎えた。そして、カレル4世の息子ヴァーツラフ4世も、父の仕事を受け継ぎ、城の拡張を行なった。
しかし、その後の歴代王は首都を美化するよりも戦争に没頭した。
16世紀初頭になってようやくヤゲロー家ヴラディスラフ2世が再び城に関心を持ち、新防備の強化や一連の新建築と内装の改造を手掛けた。
その後、ハプスブルク家に支配が移った。フェルディナント1世時代(1526~64)、神聖ローマ帝国の宮廷を置くに十分な規模が必要だった城は、建物の拡張や庭園の整備が行われ、より豪華に改葬された。17世紀のフェルナンド2世の時に、当時隆盛していたバロック式要素が城や庭園に加えられた。
そして、18世紀中盤に、オーストリア女帝マリア・テレジアが、城の最終的な拡張工事を行わせて現在の姿になった。
その後、城は忘れられ、たまに豪華な戴冠式に使われるだけとなり、さらに略奪され荒廃した。
1848年、フェルディナント5世(オーストリア皇帝フェルディナント1世)が退位後、プラハに居城を定めたお蔭で、新たな光を見ることになった。
1918年、チェコスロヴァキア共和国誕生とともに、城には大統領官府が置かれ、改修工事が行われた。
第2次世界大戦のさなか、ナチスによるチェコスロヴァキア占有中、プラハ城はラインハルト・ハイドリヒの本拠地となった。
チェコスロバキア解放の後は、プラハ城はチェコスロバキア社会主義共和国の共産主義政府が置かれた。
1993年、チェコスロバキアがチェコ共和国とスロバキア共和国に別れた後、プラハ城には新しくチェコ共和国の大統領府が置かれている。
近年、ヴァーツラフ・ハヴェル(チェコスロヴァキア大統領1989~1992・チェコ共和国初代大統領1993~2003)の意向で、長年手入れされず入場禁止であった多くの居室が昔の優美さを取り戻し、一般に公開されることとなった。
『「図説プラハ・片野優、須貝典子著(河出書房新社刊)」、「現地購入誌・プラハ」他より』

現況・登城記・感想等

「百塔の都」或いは、「黄金の都」「魔法の都」などと称されるプラハは、ヨーロッパの中でも最も観光客が訪れる人気の都市だそうだ。
プラハ市は、大きく10区画に分けられており、ヴルタヴァ川に架かる「カレル橋」を中心に東西両岸に広がる1区が町の中心で、ここに観光スポットの多くが集中している。
西岸は、小高い丘になっており、プラハ城のある「フラチャニ(Hradčany)」とその城下町「マラー・ストラナ(Malá Strana)」の2つのエリアからなる。
東岸は、中世の町並みをそのまま残す「旧市街(Staré Město)」と繁華街のある「新市街(Nové Mesto)」、そしてシナゴーク(ユダヤ教会)が集中する「ユダヤ人地区(Josefov)」の3つのエリアからなる。
合計5つの、これらのエリアは、いずれも魅力あるスポットがふんだんにあり、プラハの歴史と文化をたっぷりと楽しむことができ、パリにも負けないほど魅力的な街である。。
中でも、フラチャニの丘の上に威風堂々と聳える「プラハ城」の姿は、まさに「プラハのシンボル」であり、見どころ満載だ。城壁に囲まれた広大な敷地には旧王宮、教会、修道院などが建ち、じっくり見て回ろうとすれば、丸一日掛かるであろう。
ところが、こちとら、パック旅行の身の上、ほんの一部(第3の中庭まで)だけしか見れなかったのは何とも残念無念なり~(/。ヽ)。
尚、プラハ城内を見学するにあたっては、ダイヤモンド社発行の「地球の歩き方」に載っているプラハ城の絵図を見ながら廻ると分かりやすい。ここに、それを掲載したいところだが、著作権の問題もあるので・・・。
(2012/05/31登城して)

ギャラリー

【登城記】
プラハ城遠景
我々を乗せた観光バスがプラハ中心地に入ると、小高い丘の上にプラハ城の威容が見えてくる。道路には、有名な(プラハ名物?)トラムが、次々に走り、プラハにやって来たという実感が湧いてくる(*^_^*)。城へ登っていく九十九折の道路の両側には、サムスンの広告板がやたらと目立ったのが、日本人としては残念というか、寂しい。かつては、ほとんどがトヨタとソニーだったんですがねえ。
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フラチャニ広場(巨人の門前から撮影)
プラハ城の正門(巨人の門)の前にはフラチャニ広場があり、その両側には立派な宮殿が立ち並ぶ。
右の建物は大司教宮殿で、左の手前から3つ目の建物はシュヴェルツェンベルク宮殿。

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フラチャニ広場からプラハ城正面を
一般的には、プラハ城めぐりは、フラチャニ広場に面する正門(巨人の門)から始まる。
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正門(巨人の門)
この門は、皇帝マティアスの時の1614年、プラハ最初のバロック門として造られた。門の上には、棍棒と剣を持つ2人の戦う巨人像があり、門の名称の由来となっている。門のアーチの上にはハプスブルク家の金色の王冠が輝いている。門前には警護にあたる直立不動の2人の衛兵が立っているが、観光客が横に並び、次々に記念写真を撮っている。
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【プラハ城からの眺望】
正門(巨人の門)の前を南へ向かったところの新登城道からの眺望ですが、もう一つかな・・・?
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【衛兵交代式(巨人の門にて)】
毎日、午前5時から午後11時までの毎時間、衛兵の交代式が行われる。その内、特に、正午の交代式はファンファーレに合わせて旗を交換するという、華やかな交代式だという。我々が訪れたのが午前10:00だったが、それでも多くの観光客が一斉に集まって見ていた。
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第1の中庭
巨人の門をくぐると「第1の中庭」へ出る。右に見える門(マティアス門)は「第2の中庭」へ通じる門であるが、もともと凱旋門として単独で建っていたというだけあって、見事なものだ。
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第2の中庭
第2の中庭の南東には、聖十字架礼拝堂が建っている。1758年から1763年にかけて建設されたが、当時の姿を残すのは主祭壇とS.バルコの絵画磔刑像だけで、それ以外は全て皇帝の私的な礼拝堂として使うために19世紀に改築された。
また、中央には神話をテーマにしたバロック式噴水があり、その近くに井戸がある。井戸は、18世紀に細かい装飾がされた鋳鉄の格子がつけられ鳥籠のようになっている。
第2の中庭には、北側にも門(北門)があり、城の北側の旧乗馬学校の方へ出る。我々も、この北門から入城した。「第3の中庭」へは、
東側の門をくぐって入って行く。
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左から井戸、聖十字架礼拝堂、バロック式噴水(第2の中庭内)
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北門
北門にも2人の衛兵が直立不動で立っている。この門を、乗用車がくぐって第2の中庭へ入って行ったが、プラハ城内にある大統領府へ行く、大統領関係の車だろうか?
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北門の前の空堀に架かる橋
我々の乗ったバスは、写真の200mほど手前に停車。我々は、旧乗馬学校の前を通り、橋を渡り、北門をくぐって第2の中庭へ入城した。この橋の下は、大規模な空堀跡のようだった。
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聖ヴィート大聖堂正面ファサード
第2の中庭の東側の門をくぐると、目の前
に聖ヴィート大聖堂の正面ファサードが現れる。圧倒的な迫力だ。
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第3の中庭
正面ファサードから右へ折れると、第3の中庭へ出る。中庭中央には兵士と騎士の守護神「聖ギオルギウス」の像が立っている左が聖ヴィート大聖堂で、その前に聖ギオルギウス像、右が旧王宮。
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聖ヴィート大聖堂南ファサード
聖ヴィート大聖堂は城内の最も有名で、最も大きい建物であり、奥行き124m、幅60m、塔の高さは96.6mある。もともとは、930年に建てられた円筒型のシンプルな教会(ロトンダ)から始まり、14世紀のカレル4世の時代に現在見られるような堂々たる建物への改築工事が始まった。1420年に、一旦、建設が中断され、最終的には1929年に完成したという。
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南ファサードの黄金の門を飾る最後の審判のモザイク
南ファサードの黄金の門の上部には1370年頃に造られたモザイク作品「最後の審判」が嵌め込まれている。
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大統領府 
聖ヴィート大聖堂の南側の建物には、大統領府(執務室)があり、国旗が掲揚されている時はが執務中であることを示すのだというが、掲揚されていますね。
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聖ヴィート大聖堂内とステンドグラス
23ステンドグラス1 23ステンドグラス2

24ステンドグラス3 24ステンドグラス4

【プラハの各地から眺めるプラハ城】 
カレル橋の上から
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ヴルタヴァ川対岸(旧市街)から ~画面をクリックにて拡大画面に~
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ズームアップ ~画面をクリックにて拡大画面に~
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ヴィシェフラドから ~画面をクリックにて拡大画面に~
ヴィシェフラドの展望台(リブシェの沐浴場)からの眺望だが、この展望台からは反対側の眺めも素晴らしい。
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