ヴィシェフラド城(プラハ)

ヴィシェフラド城リブシェの沐浴場(稜堡跡)からの眺望

チェコ発祥の伝説の地

チェコ語名

Vyšehrad

所在地

V Pevnosti 159/5b, 128 00 Prague 2, Czech Republic

開園時間

【4月~10月】 9:30~18:00
【11月~3月】 9:30~17:00

訪城日

2012/05/31

歴史等

紀元前500年頃にプラハの地に最初に定住したのはケルト人で、その後、民族移動期の6世紀にスラヴ民族がやってきたという。そして、8世紀頃にはフラチャニ(現在のプラハ城がある丘)とヴルタヴァ川対岸のヴィシェフラド(高い城という意)の2ヶ所に住むようになった。
伝説によれば、ボヘミア王国(チェコ西部)最古のプシェミスル王朝は、9世紀初め頃、王女リブシェが夫を迎えて創始されたとされる。
その伝説とは、昔、ヴィシェフラドにリブシェという美しくて聡明なお姫様が住んでいた。ある日、彼女はヴルタヴァ川を望む小高い丘に立ち「ここに大きな町を造るがよい。その町を「プラハ」と名付けよう。その栄光は天まで届くであろう。」と、その繁栄を予言したという。当時のチェコは、このリブシェが人々を率いていたが、女性に従うのを嫌がるようになり、男性の君主を求めるようになった。そこで、リブシェはプシェミスルという名の農夫を招いて結婚し、二人が王朝の始祖になったというものである。19世紀まで、これは実話と考えられていたという。
実際のプシェミスルは、プラハよりやや北のレヴィー・フラデツ付近を本拠とした部族長であったらしい。そして、9世紀の終わり頃、現在のプラハ城のもとになる城を築き、チェコ全土を統一する足掛かりを築いた。
921年に君主となったプシェミスル家のヴァーツラフは、プラハ城内に教会(現在プラハ城内にある聖ヴィート大聖堂のもと)を建て、カトリックの国となり、10世紀の後半に神聖ローマ帝国が成立すると、帝国を構成する国の一つとなっていった。
ヴィシェフラドは、砦として10世紀頃に建設されたといわれる。
そして、ヴラチスラフ2世(Vratislav Ⅱ, 1061-1092)がチェコ支配者となった頃から、ヴィシェフラドの新しい時代が始まった。
ヴラチスラフ公爵は1085年にチェコ国とポーランド国の王となり、王座をヴィシェフラドに移し、城壁を強化させ、石造りの立派な宮殿や宗教施設の建築にも着手し、ヴィシェフラドの繁栄期を築いた。
その後、ヴラチスラフ2世の後継者ソビェスラフ1世もヴィシェフラドの発展に力を注いだが、その次のヴラジスラフ2世が王座をプラハ城に移したことで、それ以降、ヴィシェフラドは政治的な影響力を失った。
14世紀に入り、カレル4世がヴィシェフラドを復興させた。カレル4世の母親はプシェミスル家の出身であったため、王はここに城壁、王宮、教会、大聖堂を築いて荘厳し、祖先に最大の敬意をはらった。また、今後新たに即位する王は、戴冠式の前夜にヴィシェフラドへ徒歩で赴き、農民だった質素なプシェミスルを偲んで、収穫用の布袋を肩に下げ、麻の靭皮靴を手にする儀式を行うことと定めた。
しかし、カレル4世の想いに反し、時の流れとともにヴィシェフラドは次第に廃れていった。
フス戦争時代にヴィシェフラド城の建築物は破壊され、17世紀からは軍隊基地に改築されてしまった。
そして、1911年に軍政からプラハ市に運営権が渡された。
『「図説プラハ・片野優、須貝典子著(河出書房新社刊)」、「図説チェコとスロヴァキア・薩摩秀登著(河出書房新社刊)」、「ヴィシェフラド公園内パンフレット」他より』

現況・登城記・感想等

ヴィシェフラド城は、プラハで最も古い城であると共に、チェコの象徴でもある。
今は、公園となり、城壁や城門などの城跡や教会や数々のチェコの著名人600人が埋葬されている墓地などがある。
公園に訪れる観光客は少ないが(日本人は見なかった)、多くの市民が訪れ、古代ヨーロッパに思いをはせながら散策をし、緑に囲まれてゆったりした時間を過ごしているようだ。
ターボル門やレオポルト門など城門や城の周囲を固める城壁も勿論魅力はあるが、「リブシェの沐浴場」と呼ばれている真っ黒に焼け焦げたような稜堡跡とそこから眺める素晴らしいパノラマは見応え充分で、いつまでも、そこに佇んでいたかったほどだ。
また、スメタナをはじめ、ドヴォジャーク(日本ではドボルザークと呼んでいる)、ミュシャなどの著名人が眠る墓は、いずれも立派なもので、墓地彫刻のギャラリーとしてチェコの文化芸術の発展を見れる場所になっている。
また、ロマネスク様式のロトゥンダ・聖マルティン教会、ゴシック様式の聖ペトルとパウロ教会も見ることができる。
(2012/05/31登城して)

以前、当サイトに投稿して戴いたAKIRAさんのブログhttp://akirajyou66.blog.fc2.com/blog-entry-43.htmlの中の「ヴルタヴァ川から望むヴィシェフラド城」の写真を、ご好意により掲載いたしました。
(2013/12/08)

ギャラリー

ヴィシェフラド城絵図(現地管理局パンフレットより)
 ①ターボル門、②シュピチカ(ゴシック式塔の跡)、③精神治療所、④作家Popeika Bilianovaの家、⑤ヴィシェフラド国民文化遺跡管理局、⑥レオポルド門、⑦聖マーチン円形教会、⑧キリスト磔の像、⑨聖ヤン・バプチストの首切り教会⑩シャンツォフマリア教会、⑪新主席司教、⑫悪魔の柱、⑬旧主席司教、⑭聖ヴァヴジネツのロマネスク式バジリカの跡、⑮旧要塞管理局、⑯地下倉庫(ゴシック式)、⑰ゴシック式の壁の跡、⑱ギャラリーヴィシェフラド、⑲公爵女リブシェの沐浴場、⑳中世の井戸、㉑彫刻(Josef Vaciav Myslbek作)、㉒石造橋の跡(ロマネスク式)、㉓兵器庫の正門(バロック式)、㉔聖ペトルとパヴェル参事会大聖堂、㉕ヴィシェフラドの墓地、㉖スラヴィーン墓地、㉗聖ルドミラ(Michal Jan Brokoff作)、㉘聖セバスチアン、㉙Krejci教授の円形浮彫、㉚旧学寮長室、㉛新学寮長室、㉜Vaclav Stuic学寮長記念碑(Stepan Zalesak作)、㉝聖ヴァツラフ(Jan Jiri Bendl作)、㉞夏季舞台、㉟Cihelna(Prazska門)、㊱Gorlice-地下ホール、㊲「チェコの伝説」の子供ホール
~画面をクリックにて拡大画面に~
ヴィシェフラド城絵図

【登城】
今回の中欧旅行も旅行社主催のパック旅行であったが、4時間ほどの自由時間があったので、プラハの中心街からは、多少遠くなるが、「チェコ発祥の伝説の地・ヴィシェフラド(城)」へ行くことにした。ヴィシェフラドはチェコ共和国の象徴でもあるのです。現地のガイドさんに行き方を教えてもらったら、「行きはタクシーで、帰りはトラムが良い。タクシーは、旅行社ご用達の店で呼んでもらい、帰りのトラムは、停留所に切符が売られてないので、この近くの地下鉄の駅の近くにあるキヨスクで購入してから出掛けた方が良い。」ということだった。
自由時間に、特に観光するところを決めていないという2組のご夫婦が、一緒に行きたいということで、3組6人で出掛けた。プラハ市街は、かなりの渋滞で20分以上かかってヴィシェフラドに到着したが、20コルナ強だった。何と、日本円にして僅か800円ほどだ。25コルナ払って、残りはチップに・・・。運転手さんは、にこにこしていた。ただ、「ターボル門」の前まで乗せてもらうつもりが、着いたところは随分ゴツイ門の前だった。幸い、城内の案内図板があり、どうやら「通称プラハ門」の前だということが判明した。ホッ((*^_^*)。
【通称プラハ門】
プラハ門は、見掛けが随分ごつい上に、高さ10m近くある城壁が、門の両側に延びている。防御は万全といったところでしょうか。
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【プラハ門の両側に延びる城壁】
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【プラハ門を城内から】
外側には、窓がほとんどないが、城内側には多くの窓が備えられている。この門は、ただの門というよりも、かなり大人数の人が入って防御にあたることができたようだ。鉄壁の門といったところでしょうか。
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【登城道】
城内は公園となり、石畳の散策路が綺麗に整備されている。また、緑も多い上に、観光客もほとんどいなくてゆったりした気分で散策できる。
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【地下ホール(稜堡跡では?)】
プラハ門から東へ歩いて行くと、すぐに、左手に稜堡跡のような土塁が見えてくる。現地管理局でゲットしたパンフの絵図によると地下ホールとなっているが、絵図の形からみても明らかに稜堡跡でしょう。また、非常に広い平坦地があることから、兵士が集まる日本の城でいうところの「千人溜り」のような場所にもなっていたとも考えられる。
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【シャンツォフマリア教会】
プラハ門から東へと4~5分ほど歩くと、左手に白い小さな教会が現れる。「シャンツォフマリア教会」だそうですが、由緒等は現地でゲットしたパンフにも載っていないのでわかりません( ̄ー ̄;。
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【右手に聖ペテル・聖パヴェル教会が】
右手には、「聖ペテル・聖パヴェル教会の塔」が見えるが、その前に、まずは大手門?の「ターボル門」へと真っ直ぐ向かう。
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【聖マルチン教会のロトゥンダ(円形教会)】
11~12世紀のロマネスク建築で、プラハに現存する最古の建物だが、15世紀のフス戦争でカトリック派の拠点となった時、その一部が破壊され、1523年には火災に見舞われ、30年戦争では武器庫とされたという。
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【城壁】
ロトゥンダから少し進むと、左手に城壁が見えてくる。高さは、やはり10m近くあり、その下(当時は濠だったのだろうか?)はテニスコートになっている。城とは関係ありませんが、チェコのテニスといえば、ナヴラチロワとレンドルでしょうか。古すぎますか?
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【レオポルド門】
門の中央の「獅子の頭像」は、17世紀の建築家カルロ・ルラーゴの設計による。
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【シュピチカ門跡】
シュピチカ門は、写真の右側手前辺りにあったようだが、今は跡形もない。
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【堀切】
シュピチカ門辺りは狭くなっており、門跡の東側を堀切で断ち切られている。まさに、日本の堀切と同じですね(*^_^*)。この写真は、上段写真の煉瓦の下になる。
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【ターボル門】
日本の城でいうところの大手門になるのでしょうか。この門も17世紀に築かれたようだ。門の両側には、高さ5~6mほどの城壁が続いている。
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【ターボル門脇の城壁】
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【城壁】
城壁をよく見ると、その種類が3段ほどに分かれるが、おそらく時代を経て、高くしていったのだろう。
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【聖ペテル・パヴェル教会とヴィシェフラード墓地】
次に向かったのは、聖ペテル・聖パヴェル教会とその横にあるヴィシェフラド墓地。この墓地は、中世に建設され、聖ペテロ・パヴェル教会に隣接する墓地であったが、19世紀後半からチェコの芸術家や文化人が埋葬された記念墓地に変わった。
ここには、スメタナをはじめ、ドヴォジャーク(日本ではドボルザークと呼んでいる)、ミュシャなど、チェコの著名人600人が埋葬されている。それらの墓は、いずれも立派なものであり、墓地彫刻のギャラリーとしてチェコの文化芸術の発展を見れる場所になっている。

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【スラヴィーン(パンテオン)】
スラヴィーンと呼ばれる共同墓碑は、国家の栄光を讃えるために1889~93年に建設された。
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【聖ペテル・パヴェル教会とスメタナの墓】
日本の城めぐりの時に墓地で城主の墓を見付ける時も、いつも苦労するのだが、この墓地は、そんな比ではない。何しろ600もの墓があるのだ。おまけに、墓に刻まれているのは当然ながら「チェコ語で」なのだ。
たまたま、50~60歳ほどの女性の方がいたので、ドヴォジャーク(ドボルザーク)の墓は何処にあるか尋ねたら、分からないという。次に、スメタナの墓は何処にあるか尋ねたら、すぐに教えてくれた。チェコの人にとって、「スメタナ」は「国民的作曲家」で別格らしい。何と言っても、スメタナの“わが祖国”は、第一楽章“ヴィシェフラド”で始まるのだ。そして、「スメタナが好きですか?」と聞かれたので、即座に”Yes, I do.”と答えた。調子よすぎですね(笑)。

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(スメタナの墓)
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【美しい回廊に並ぶ墓】
そうこうしていると、一緒に行ったY本さんが、ドヴォルザークの墓を見付けた。そこには屋根付きの綺麗な回廊がの中に墓が並んでおり、中にはモザイク画や彫像まであったのには驚いた。こうなると、墓というよりも、完全にギャラリーだw(*゚o゚*)w。
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【ドボジャーク(ドボルザーク)の墓】
子供の頃から見慣れた?気難しい顔をしたドボルザークの顔が・・・。
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【芝生広場】
(ボヘミアの歴史にまつわる彫像①)
時間がないので、教会内見学はパスして芝生の広場に立つ4つ彫像を見に・・・。これらの彫像は、ボヘミアの歴史にまつわる、リブシェやプシェミスルの像である。右側の彫像は、ボヘミア建国の伝説の王女リブシェが、夫プシェミスルを伴い、天高く国の繁栄を宣言する姿の像である。
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(ボヘミアの歴史にまつわる彫像②)
右の彫像は、ツチラとシャールカの像(少女たちの戦争の言い伝え)。シャールカとは、チェコの伝説に登場する勇女の名前で、恋人に裏切られたシャールカは男への復讐を決意し、男の兵士達を策略にはめて皆殺しにする物語で、スメタナの「我が祖国」第3曲のモチーフとしても登場する。
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【中世の井戸跡】
芝生広場の隅には、井戸跡が残っている。
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【リブシェの沐浴場(稜堡跡)】
最後に向かったのが、私にとって、ヴィシェフラドの最大の見どころである「リブシェの沐浴場」と呼ばれる中世期の稜堡の跡である。ここは、ヴルタヴァ川に突き出た断崖絶壁の上に僅かに残された城跡がある。
(リブシェの沐浴場へ向かう)
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(ゴシック式地下倉庫)
リブシェの沐浴場に向かうと、左手下に防空壕のようなのが・・・(上写真の左)。ゴシック式の地下倉庫だというが、残念ながら、戸が閉まっていて入っては行けなかったが、壁は如何にもしっかりしていた。
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(リブシェの沐浴場)
リブシェの沐浴場は、断崖絶壁に城壁が良好に残っており、今は展望台になっている。 
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(リブシェの沐浴場からの眺望①)
リブシェの沐浴場からの眺望は最高!! それに、何よりも、焼け焦げた跡のように真っ黒な断崖絶壁の崖が往時を偲ばせてくれるようだ。尚、右奥にはプラハ城も見える。
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(リブシェの沐浴場からの眺望②)
反対側の眺望も素晴らしい。兎に角、この展望台からの眺望が、あまりの素晴らしさでいつまでも、そこに佇んでいたかったほどだった。
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(プラハ城を望む)
当写真はリブシェの沐浴場の少し北側から撮ったものであるが、プラハ城の姿が素晴らしい。ただ、写真手前の橋から望むヴィシェフラドの姿はもっと素晴らしいようだが、あとの祭(/。ヽ)。
puraha3-dai

【ヴルタヴァ川の船上から望むヴィシェフラド城】
以前、当サイトに投稿して頂いたAKIRAさんがプラハへ旅行するというので、ヴルタヴァ川から見上げるヴィシェフラド城の写真をお願いしていました。それが、AKIRAさんのブログhttp://akirajyou66.blog.fc2.com/blog-entry-43.htmlに掲載されましたので、ご好意に甘えて掲載しました。
これらの写真を見ると、まさに天然の要害地に築かれた難攻不落の城塞であるのが分かりますね。

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コメント

akira(2013/05/01)

7月にチェコに旅行に行きます。
ヴィシェフラドの情報、とても有り難いです。
この記事を見て 益々楽しみになりました。
他にも色々と見させて頂きます。

タクジロー(2013/05/02)

akiraさま
当サイトへのご訪問とコメント、ありがとうございます。
プラハは、本当に魅力のある街で、できれば、もっとゆっくりしたかったです。
勿論、チェスキークルムロフも素晴らしかったです。
ヴィシェフラドの北側に架かる橋から眺めるヴィシェフラドが、すごくかっこいいようです。
もし、その写真が撮れ、帰国後に掲示板にて写真を載せて頂ければ嬉しいのですが。

akira(2013/05/11)

タクジローさま
お返事ありがとうございます♪

チェコ(プラハ)には7月6日から10日間滞在予定です。
クトナーホラとチェスキークルムロフ
ヴィシェフラドには 各1日時間を作ってあります。
北側の橋ですか?googleマップで拡大しても
名前の出てこないヴィシェフラドからすぐの橋ですかね?
ご希望に添えるか解りませんが(汗)
撮影にチャレンジしてみたいと思います。

少々質問なのですが・・・・。
一眼レフを持って行こうか検討しております。
周囲からは、盗難に会うから 絶対にやめた方が良いと・・・・(笑)
向うで その手の目立つカメラを持ってる方とか
沢山いらっしゃいましたか?

それにしても プランを立てるのに 色々と検索しているのですが
タクジローブログ検索ヒットしまくりです!!!
本当にありがとうございます!かなり感謝してます!

akira(2013/05/11)

橋の写真出てましたね。。。すみません。
写真撮影して参りますね。

タクジロー(2013/05/12)

akiraさま
中欧は、一般的に西欧と較べて安全で、日本にも負けないと思います。勿論、日本人観光客の多くが、一眼レフを持って写真を撮りまくっています。
但し、当然ながら、置き引きは気を付けて下さい。
写真、期待しています。
旅行、楽しんできて下さい。

akira(2013/12/04)

タクジロー様へ

ヴィシェフラドの写真を当方ブログに掲載しました。
http://akirajyou66.blog.fc2.com/blog-entry-43.html
もし 気に入って頂ける写真があれば ご自由にどうぞ

遅くなってしまってすみません。
更新に時間がかかってしまいました(笑)

ブログの中で タクジローさんのブログを紹介しております。
もし 問題があるようなら 削除致しますので 教えて下さい。

色々とありがとうございました。

タクジロー(2013/12/08)

akiraさま
ありがとうございます。
船から見上げるヴィシャフラドを掲載させて戴きたいと思いますので宜しくお願い致します。
また、ブログ紹介、ありがとうございます。
今後とも、宜しくお願い致します。

akira(2013/12/08)

こちらこそ 是非使ってください~★
タクジローブログ楽しみにしてますので
がんばって下さい。
本当に凄いですよね!!!尊敬しています!

タクジロー(2013/12/12)

身に余るお褒めの言葉を戴き恥ずかしいです。
船酔いするのに、船からの写真を撮って戴き申し訳ありませんでした。
これからも、時々、当サイトに寄って下さいね。

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