大司教宮殿(プラハ)

優美なクリーム色のファサードの大司教宮殿

フェルディナンド1世が大司教のために購入した宮殿

チェコ語名

Arcibiskupský palác

訪城日

2012/05/31

歴史・現況・感想等

プラハ城正門(巨人の門)前のフラチャニ広場の辺りは、かつて城の奴隷たちの集落があったところで、1320年頃に城の司令官ヒネク・ベルカが城壁を造らせたことで行政区が形成された。
現在のような立派な宮殿が建ち並ぶようになったのは、1420年のフス戦争と1541年の大火災で、市庁舎など僅かな建物を除いて、ほとんどが焼失してしまい、町が新たに再建されてからである。
フラチャニ広場は、中央にペスト記念柱が立ち、それを囲むように四方に屋敷が建つ中世の町の造りを残し、広場の両側には大司教宮殿・シュテルンベルク宮殿とシュヴァルツェンベルク宮殿が向かい合い、西端にはプラハ城と相対するようにトスカナ宮殿が建っている。。
大司教宮殿は、1562年にハプスブルク家の皇帝フェルディナンド1世がプラハに戻ったばかりの大司教のために購入し、以来、現在まで大司教舘として使われている。最初に建設された時はルネサンス様式の邸宅であったが、その後17世紀にバロック様式に改築された。そして、18世紀後半にはロココ様式の装飾がされ、現在に至る。
クリーム色のあるファサードが、お洒落で、フォアマン監督が、1984年に制作した映画「アマデウス」のロケ地に使った場所だそうだ。この映画は、モーツァルトの後半生を、フィクションを織り交ぜて描いたもので、アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞した。
『「図説プラハ・片野優、須貝典子著(河出書房新社刊)」、「現地購入誌・プラハ」、「ウィキペディア」他参照』
(2012/05/31訪れて)

ギャラリー

プラハ城正門前からフラチャニ広場を
プラハ城正門(巨人の門)前のフラチャニ広場は、中央のペスト記念柱を取り囲むように、立派な宮殿が建ち並ぶ。右手前が大司教宮殿、左側3つ目がシュヴァルツェンベルク宮殿、正面奥がトスカノ宮殿。左手前には、チェコスロヴァキア建国の父初代大統領マサリクの像も見える。
フラチャニ広場

プラハ城正門前から大司教宮殿を
正面のファサードが立派過ぎて、背後に延びる館がちっぽけに見えてしまうのは、私だけでしょうか?
大司教宮殿

ペスト記念柱と初代チェコスロヴァキア大統領マサリクの像
チェコスロヴァキア建国の父といわれ、初代大統領となったマサリクは、労働者階級に生まれ、のちに社会学者・哲学者としても活躍した。オーストリア・ハンガリー帝国からの独立運動をしたため、第1次世界大戦時には国外に逃亡し、海外から独立を訴えた。
ペスト記念柱 マサリク像

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