ゴルツ・キンスキー宮殿(プラハ)

中央にゴルツ・キンスキー宮殿、右は石の鐘の家、左にヤン・フス像

プラハの旧市街広場に建つ鮮やかな色彩の宮殿

チェコ語名

Palác Golz-Kinských

訪城日

2012/05/31

歴史・現況・感想等

「百塔の都」或いは、「黄金の都」「魔法の都」などと称されるプラハは、ヨーロッパの中でも最も観光客が訪れる人気の都市だそうだ。確かにプラハは、魅力あるスポットがふんだんにあり、歴史と文化をたっぷりと楽しむことができ、パリにも負けないほど魅力的な街である。
その中で、ヴルタヴァ川左岸のプラハ城と並び、「旧市街広場」は右岸の中心部として古くから賑わいをみせてきた。
この旧市街広場は、東は市民会館や火薬塔へ、西はカレル通りからカレル橋へ、南はヴァーツラフ広場のある新市街へ、北はヨゼフォフと呼ばれるユダヤ人街へと通じる、まさにプラハの心臓部にあたる。広場の中央にはヤン・フス像が立ち、周囲には時計台のある旧市庁舎、ティーン教会、聖ミクラーシュ教会など、数々の歴史的建造物であふれている。
その旧市街広場の北東部に面して、ひときわ鮮やかな光彩を放っているのがゴルツ・キンスキー宮殿である。
ゴルツ・キンスキー宮殿は、1755年から65年にかけて、ボヘミアバロックの代表的な建築家キリアン=イグナツ=ディーンツェンホファーの設計で、ゴルツ伯爵により建造されたもので、後期バロック様式の建物に新古典主義とロココ様式の装飾がなされている。
キンスキー家出身に、1889年小説「武器を捨てよ」を発表し、1905年、女性として初めてノーベル平和賞を受賞したベルタ・フォン・ズットナーがいる。彼女は、ノーベルに、平和思想とノーベル賞創設の着想を与えた女性としても知られるそうだ。
尚、現在、宮殿内には、プラハ国立美術館のボヘミア風景画の常設展が置かれている。
『「図説プラハ・片野優、須貝典子著(河出書房新社刊)」、「現地購入誌・プラハ」他参照』
(2012/05/31訪れて)

ギャラリー

カレル通りから旧市街広場へ
カレル橋から、カレル通りを東へ400~500mほど歩くと旧市街広場へ出る。広場の入口左側には旧市庁舎があり、広場の向こうにはティーン聖母教会が見える。
旧市街広場1

旧市庁舎
旧市庁舎の建物は、1338年に建築されて以来、絶えず拡張・破壊・再建を繰り返してきた。1978年から1981年にかけて一番最近の修築が行われた。
旧市庁舎

旧市庁舎の時計塔(左は南面、右は東面)
1364年に増築された時計塔は、高さ69.5mある。
旧市庁舎時計塔1 旧市庁舎時計塔2

旧市庁舎天文時計
塔の下部に設置された天文時計は1410年に製作されたのち、2度にわたって作り直され、現在の塔は16世紀後半にターボルスキによって修築されたものである。1時間ごとに「キリスト12使徒の行進」が始まるそうであるが、残念ながら時間が合わなかった。上部の文字盤は、古代のボヘミア時間、現在の時間、黄道12宮と太陽と月の運行を表しているそうだ。
DSC03235

旧市街広場
旧市街広場は、東は市民会館や火薬塔へ、西はカレル通りからカレル橋へ、南はヴァーツラフ広場のある新市街へ、北はヨゼフォフと呼ばれるユダヤ人街へと通じる、まさにプラハの心臓部にあたる。広場の中央にはヤン・フス像が立ち、周囲には数々の歴史的建造物であふれている。写真は、左からヤン・フス像、ゴルツ・キンスキー宮殿、石の鐘の家、ティーン聖母教会の塔。
旧市街広場2

ヤン・フス像
広場の中央には、ヤン・フスのブロンズ像が立っている。ヤン・フスは、チェコの宗教改革の先駆者で、当時のローマ教会の堕落を厳しく批判したため、1415年に火あぶりの刑で死亡した。以後、チェコにおける信者(フス派)は、ローマカトリック教会と戦うことになる。ヤン・フスの像は、1915年に没後500年を記念して造られた。碑名には「Milujte SE、pravdy každému přejte(お互いを愛し、皆に真実を望む)」と刻まれている。
ヤン・フス像

キルツ・キンスキー宮殿(左)と石の鐘の家(右)
「石の鐘の家」は、14世紀に建てられたプラハで最も貴重な中世の家で、1333年にカレル4世が滞在したという記録がある。その後、長い歴史において、所有者が代わるたびに修築されてきたが、1960年代の復元工事により、現在は元のゴシック様式建築になっている。名前は、建物の角に「石の鐘」が装備されているところからつけられた。
ゴルツ・キンスキー宮殿

旧市街広場に面する掻き絵模様の壁の建物群
スグラフィット技法(掻き絵手法)による壁の家は、シュヴァルツェンベルク宮殿に代表されるようにプラハ市内には多いが、この旧市街地にも多くが建ち並ぶ。
時間通りの家

ティーン聖母教会
ゴシック様式のティーン聖母教会は、1270年に建築が開始され、1475年に完成した。美しい2つの塔(鐘楼)は高さ80m。
ティーン教会2

聖ミクラーシュ教会
18世紀前半にK.I.ディーンツェンホーファーが建てたバロック建築の傑作。
聖ミクラーシュ教会

火薬塔
旧市街広場からツェレトゥナー通りを東へ向かうと火薬塔に突き当たる。火薬塔は1475年に築かれたもので、旧市街を守っていた城壁の門であった。17世紀に火薬倉庫として利用されたので、火薬塔と呼ばれるようになった。19世紀に塔の建て直しが行われた。現在の塔の高さは65mあり、44m地点から旧市街やプラハ城などの景色が見られる。尚、ツェレトゥナー通りは、古くから商人たちの交易ルートとして栄え、また、戴冠式の行進が行われた「王の道」の一部として知られる。
火薬塔

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