山麓に残る円形劇場
ペルガモン王エウメネス2世により紀元前190年に建設された城塞都市
トルコ語名
Hierapolis
所在地
トルコ共和国デニズリ県パムッカレ(Pamukkale)
歴史等
聖なる都市という意味を持つヒエラポリスは紀元前190年に始まった城塞都市である。この時代のものとしては最も内陸部にあることで有名である。
ペルガモン王エウメネス2世によって建造された。1世紀から3世紀にかけてローマ帝国の東の拠点として繁栄を極めた。そこには4万5千の人々が暮らし、観劇を楽しみ、大浴場で体を休めていたそうだ。
ローマ、ビザンツ時代まで長きにわたり繁栄は続いたが、セルチュク朝により町は滅ぼされた。
『地球の歩き方・イスタンブールとトルコの大地(ダイアモンド社刊)他参照』
現況・登城記・感想等
ヒエラポリスはパムッカレの石灰棚の一番上にある遺跡だ。
トルコ人添乗員エルキンさんの話によると、パムッカレの石灰棚が世界遺産に登録されているのに対し、ヒエラポリス遺跡は世界遺産に含まれていないそうである。
しかし、その広い範囲には縦横無尽に延びる石塁や礎石群等々が一杯残る光景は実に印象的だった。また、円形劇場や南大浴場(現ヒエラポリス博物館)等々の遺構もよく残っている。中でも、円形劇場は非常に保存状態が良いそうで、山麓に見えるその姿は遠くから眺めても感動ものだった。
今回はバスツアーで、しかもパムッカレの石灰棚を見る時間しかなく、遠くから、その遺構を眺めるだけしか出来なかったのが残念だ。。
また、この地はまさに天然の要害地であるようで、パムッカレの町からバスで向かう時に見える超巨大な空堀のように見える谷がいくつも複雑に折り重なっており、崖の上には石塁が見えた。
(2008/03/15訪れて)
ギャラリー
ヒエラポリス想像図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
遠景
パムッカレの町に入ると、雪山のような真っ白な高台が見えてくる。ヒアラポリスの傾斜地に広がるパムッカレの石灰棚である。
天然の要害
さらにヒエラポリスへ向かって行くと、深~い谷が延びているのが見えてくる。この地はまさに天然の要害地で、超巨大濠のような谷がいくつも複雑に折り重なっており、崖の上には石塁が見える。迫力満点の光景だった。
ヒエラポリスを囲む石塁跡
駐車場に着くと、まず、この大石塁に気が付く。石塁はかなり崩れているが、迫力十分だ。この大石塁の向こうにヒエラポリス遺跡があるのです。
砦跡?(南ビザンツ門から撮影)
遺跡の外側にもこのような砦跡らしきものがあったが、説明がなく分からないが、出丸というか物見台的なものだろうか?
南ビザンツ門
南門チケット売り場を通り、この門を入ると、いよいよヒエラポリス遺跡である。
南ビザンツ門と城壁
南ビザンツ門の両側には城壁(石塁)が長~く延びている。
城壁(城内側から)
縦横に延びる石垣と礎石等の遺構群
南ビザンツ門を入ると、縦横無尽に延びる石塁や礎石群等々が一杯残っている。
円形劇場とアポロ神殿跡
円形劇場は非常に保存状態が良いそうで、山麓に見えるその姿は遠くから眺めても感動ものだった。左手前は、アポロ神殿跡。アポロ神殿の隣には「神聖な場所」がある。ここでは地面の深い穴(プルトニウムとして知られる)から有毒なガス(二酸化炭素)が噴出していたが、聖職者たちは「他の者たちには致命的だが自分たちは大丈夫だ」と信じていた。司祭者がここに入り、ガスを少量吸い、トランス状態のまま神からお告げである神託を与えていたとも言われる。
ズームアップして円形劇場を
南大浴場①(現ヒエラポリス博物館)
ここは、別途料金が必要。今回のバスツアーではこれはカット。
南大浴場②(現ヒエラポリス博物館)
パムッカレの石灰棚
この真っ白な石灰棚がずーっと広がる光景はまさに奇観である。ところどころに温泉水がたまった池があり、湯に浸かったりするのが観光客の楽しみの一つであったが、あまりの開発ラッシュのためか、現在温泉は枯れつつあるのだという。そのため棚に湯を流すのは夏季の日中のみになっているとか。
パムッカレの石灰棚
ヒエラポリスの城壁が背後に見える。