南部陣屋(函館市)

南部陣屋南東部の石垣と石碑・説明板(手前は放送記念碑)

幕府の命により南部藩が築いた蝦夷地を警備するための陣屋

所在地

北海道函館市元町
【アクセス】
函館山ロープウェイの「山麓駅」の北側の駐車場が陣屋跡。駐車場は広くて無料。

形状

陣屋

現状・遺構等

【現状】 函館山ロープウェイ山麓駅駐車場
【遺構等】 郭、石垣、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2012/08/02

歴史等

寛政11年(1799)、幕府は蝦夷地の直轄に乗り出し、南部と津軽の2藩に出張警備を命じたが、2藩とも箱館に元陣屋を置いた。
南部陣屋には350名ほどの兵がいたようだが、粗末な長屋2棟で、湿気がひどく、多くの病人が出たようである。
文政4年(1821)に直轄がとけたが、安政元年(1854)再び直轄となり、翌安政2年、箱館奉行が設置されると、再び南部藩は、箱館市内の弁天岬・山背泊・押付・立待岬台場の警備を命ぜられ、再度この地を陣屋とした。
しかし、陣屋は腐朽していて使用に耐えなかったため、新渡戸奉行が設計にあたり、作事奉行行田鎖源治・普請奉行懸谷崎善六らが施工にあたり再建された。この時は、建物は仮普請の粗末なものではあったが、東西64間(約116m)、南北100間(約182m)の敷地が3段に分かれ、周囲に3間の空堀と土塁がめぐらされた大規模なものとなった。
ところが、慶応3年12月9日(1868年1月3日)、王政復古となり、警備兵を撤退させて陣屋を新政府機関の箱館裁判所へ引き継ぐことになったが、そのとき戊辰戦争が起き、明治元年(1868)旧幕府脱走軍の蝦夷地襲来の噂と政情不安から、8月11日夜半、自ら陣屋に火を放って引き揚げ、南部陣屋は廃絶した。
のちに南部藩主は新政府からしかられ、減石され東京に謹慎させられた。
『「はこだて歴史散歩」、「日本城郭大系1」、「現地説明板」参照」』

現況・登城記・感想等

南部陣屋跡は、観光地「函館」の中でも、特に人気のある元町にあり、近くにはハリスト正教会や元町教会、聖ヨハネ教会などがある。
現在は、函館山ロープウェイの山麓駅横の広い駐車場となっているが、往時は周囲を石垣で固めていたようで、駐車場周囲の石垣が良好に残っている。
特に東面の石垣は、ちょっとした高石垣で見応えも充分あり、その北部(FMいるかの裏側)の角部の石垣は、算木積みになっている。
部分的には、妙に新しそうな石垣もあるが、多くは古そうな石垣で、概ね、往時の遺構と考えて良さそうだ。
(2012/08/02訪れて)

ギャラリー

陣屋跡は広い駐車場に
陣屋跡は広い駐車場になっており、西(山)側が石垣で固められているが、この部分は、当時のものかどうなのでしょうか・・・? また、往時は、東西64間(約116m)、南北100間(約182m)の敷地が3段に分かれていたというから、この駐車場は一番上の段になるのでしょうか?
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駐車場の上(西)の石塁
駐車場の上にも石塁があるが、これは往時のもののような感じだが・・・? ここから見下ろす函館市街の光景はなかなかのものだ。

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南部坂
陣屋跡(駐車場)の南側の坂は、南部陣屋があったことから「南部坂」と呼ばれているが、この坂、なかなかの急斜面です。尚、この辺りの石垣は、かなり修復されているのでしょう。
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南東部の石垣と石碑・説明板
駐車場の南東下に説明板(写真やや左)と石碑(放送碑の後ろ)が立っているが、手前の放送記念碑が何とも邪魔で・・・(;´▽`A``。
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石碑
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東面の高石垣
この駐車場下の高石垣はなかなかのものだ。また、この平坦地(駐車場一段下)はNHK函館放送誕生の地(昭和27年開始)だそうで、今も「FMいるか」の建物と駐車場がある。おそらく、この平坦地も陣屋跡なのではないかと思うが・・・。
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北東角(FMいるか裏)の石垣
東面の石垣の北部の角部の石垣は、算木積みになっていて、ちょっとした見ものだが、「FMいるか」の建物裏にあり、見落としやすいかも・・・・
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