館城(厚沢部町)

百閒堀跡

戊辰戦争を恐れ山中に築き移った松前藩の城

読み方

たてじょう

所在地

北海道桧山郡厚沢部町城丘、館城跡公園
【アクセス】
厚沢部町中心街から道道634号線を厚沢部町城丘へ向かって10kmほど行くと、途中に館城への案内板が左手に見える。そこを入って行くと館城跡公園へと出る。

形状

平山城

現状・遺構

【現状】 館城跡公園
【遺構等】 曲輪、土塁、堀、塹壕、井戸、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2007/09/10

歴史等

戊辰戦争が奥州に及んだ明治元年(1868)、松前藩主18世徳広は松前城の海面に対する防備が不備であることを心配して、一期有事の避難地に内定していたこの地に新城を築いて移ることとした。また、藩の内乱、拓地勧農などの藩内諸事情もあったとも云われる。
築城は突貫工事で9月1日に着手し、10月25日に完成したというが、未完成であったとも云われる。
館城は城丘の丘陵地にあり、南方は深山を蔽い、濁川、糠野川を三方にめぐらし要害に最も適した所であった。
明治元年(1868)10月26日、五稜郭を占領した徳川脱走軍が松前城に迫ると、藩主徳広は松前城を遁れ、夫人及び男子3児、その他藩士300人を従え新城(館城)に移った。11月5日松前城を占領した徳川脱走軍は、11月15日館城を攻撃し、16日落城した。藩主徳広はその内室子息と共に近臣に護られ熊石に逃れた。
館城は着工後わずか75日で陥落した城で、松前藩最後の城である。
尚、明治2年(1869)徳広の長男兼広が松前城に戻り、館藩と改称した。
『「現地説明板&石碑」、「現地ミニ資料館掲載資料」等参照』

現況・登城記・感想等

館城は、厚沢部町でも相当な山奥にあり、何だか松前藩の情けなさが目に浮かびます。
城跡は道路で裁断され、北側が本丸跡地で、建物跡等の位置がわかる標識が立てられ、井戸跡も残っています。
本丸奥には一段低い郭跡があり、米蔵の標識と井戸跡が残っています。
道路の反対側(南側)には、土塁や堀が残っています。また、天守閣を模した小さな建物と、その隣にはミニ資料館として小さな小屋が建っており、ガラス戸の中に館城に関する新聞記事等の資料が貼られていました。
そこから展望台の方へ登って行くと、途中に多くの塹壕跡が残っていますが、「この塹壕に潜って旧幕府軍と撃ち合ったんだな」などと思いを巡らしました。
展望台は往時は物見台として使われていたのでしょうが、今は木々に遮られて決して眺望はよくありません。
それにしても、松前城と較べて決して要害の地とも思えないようなこの地に何故移したんでしょうね??
(2007/09/10登城して)

ギャラリー

館城跡公園案内図(現地案内板より)
館城跡は道路で裁断され、北側が本丸跡で建物跡等の表示や井戸跡などが。南側には百閒堀や土塁、展望台(見張り台跡?)などが残っています。
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館城への入口
厚沢部町の中心部から車で厚沢部町城丘へ向かって10kmほど走って行くと、途中に館城への案内板が左手に見えるので、そこを入って行くと館城跡公園へと出ます。
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道路によって裁断された館城址
城跡は道路で裁断され、北側が本丸跡地です。写真は西側から撮ったもので、道路左側が本丸跡。
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【道路北側】
本丸跡
本丸跡地には建物跡等の位置がわかる標識が立てられ、井戸跡も残っています。写真奥に見える一段低い郭は、賄部屋と米蔵跡です。
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本丸跡に建つ石碑と本丸跡に残る礎石
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本丸跡の三上超順力試之石とタモの木
三上超順は、館城攻めで松前兵全滅の危機に際して正義隊隊長を務めていた。三上は右手に大刀、左手に盾代わりのまな板を携えて、味方を逃がすため単身旧幕府軍の前に立ちはだかり、旧幕府軍指揮官・伊奈誠一郎を殺傷するも、最後には斬殺された。享年34歳。遺体はその豪傑ぶりを讃えられて旧幕府軍により手厚く葬られたという。
㊨のタモの木の前の標柱には、「超順死してタモ木と変わり館城跡を見守る」と書かれている

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本丸北側の郭(賄部屋と米蔵跡)
奥は畑となっているが、往時は湿地となっていて、それなりに堅固な城だったのでしょうかねえ?
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【道路南側】
天守閣を模した小さな建物と、その隣にはミニ資料館
道を挟んで本丸反対側に、天守閣を模した小さな建物と、その隣にはミニ資料館として小さな小屋が建っており、ガラス戸の中に館城に関する新聞記事等の資料が貼られていました。
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郭と土塁
道路を挟んで、本丸反対側の郭。周りを土塁が囲んでおり、その外側には堀が残っている。右側土塁の外側は百間堀です。
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東側の土塁と堀跡
写真の右側が上写真の郭です。 
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百間堀
幅も深さも小規模なものです。
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塹壕
展望台の方へ登って行くと、途中に多くの塹壕跡が残っています。「この塹壕に潜って旧幕府軍と撃ち合ったんだな」などと思いを巡らしました。
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展望台
展望台は往時は物見台として使われていたと思われますが、今は木々に遮られて眺望はよくありません。
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