城址郭跡に祀られている住吉神社
三浦道寸が本拠岡崎城を北条早雲に急襲され逃げ込んだ城
所在地
神奈川県逗子市小坪5丁目12
形状
山城
現状・遺構等
【現状】山林、住吉神社
【遺構等】郭、洞窟(トンネル?)、井戸、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/03/11
歴史等
北条早雲が、西相模の要衝小田原城を手に入れた後、永正7年(1510)早雲の軍は、権現山城(横浜市)において山内・扇谷両上杉の連合軍によって大敗北を喫し、早雲は両上杉の壁の厚さを思い知らされた。
そこで、早雲は両上杉を直接相手にしたのでは勝目はないと判断し、扇谷上杉の重臣で相模国中央部から東部にかけて勢力を持つ三浦氏の討滅に的を絞った。
永正9年(1512)8月、早雲の軍勢は三浦氏の本拠・岡崎城を急襲した。時の当主・三浦道寸(義同)はついに支えきれず、この住吉城に逃れた。奮戦むなしく、ここ住吉城でも戦いに敗れ、新井城(三浦市)に逃れた。この時、道寸の弟・道香は、逗子の延命寺境内で、家来たちと自害したと伝えられる。
ここにおいて、北条早雲の勢力圏は相模の中央部まで伸びた。
『「歴史群像シリーズ⑭戦国北条五代(学研刊)」、「現地説明板」参照』
現況・登城記・感想等
所在地とされる住所をナビで選択して向かったら「住吉城址」という案内板が見つかり、その家々の間の階段を登って行ったが、その道は途中で藪に遮られて行けそうもなくなった。
そこで、岩盤をくり抜いた住吉隊道というトンネルを抜け、山の反対側に出て、少し降りて行った所で道の掃除をしている方に出会い教えてもらったら、そこからすぐ上の所が住吉城址の郭跡であった。
郭跡には住吉神社が建っている(神社というより祠と云った方が正解かもしれない)。
祠の右奥には、岩盤を掘った洞窟(トンネル)があり、その手前に石塔と井戸跡がある。
洞窟(トンネル)の向こうには郭跡や土塁があるそうだが、懐中電灯を持ってくるのを忘れたことに気が付いた。途中まで入っていったが、真っ暗で、啓蟄も過ぎ蛇でも出たらと思うと、それ以上入って行く勇気がなかった(/。ヽ)。
また、この郭跡からは山上には行けそうもなかった。最初の道が、山上への道かもしれない。
(2007/03/11登城して)
ギャラリー
登城道?
「住吉城址」という案内板が見つかり、その家々の間の階段を登って行ったが、その道は途中で藪に遮られて行けそうもなかった。
住吉隊道
途中に、岩盤をくり抜いた住吉隊道というトンネルを抜け山の反対側に出た。それにしても、この山はトンネルだらけである。この下にも車が通れるトンネルが3つある。
住吉城郭跡に祀られた住吉神社
小さな建物で、神社というよりも、祠と云った方が正解かも?ここからは、山上に登ることは出来ない。最初の道から藪漕ぎをして行けば登れたのかも。
住吉神社
神社の前に住吉城にかんする説明板が立てかけられていた。
郭跡の隅にある「洞窟(トンネル)」と「石塔」「井戸跡」
祠の右奥には、岩盤を掘った洞窟とその手前に「石塔」と井戸跡があった。洞窟の向こうには郭跡があるという話を聞いたことがあるが、懐中電灯を持ってくるのを忘れたことに気が付いた( ̄ー ̄;。
洞窟(トンネル)
途中まで入って行ったが、真っ暗で、啓蟄も過ぎ、蛇でも出たらと思うと、それ以上入って行く勇気がなかった(/。ヽ)。
郭跡からの眺望
さすがに、この高見から見る江ノ島方面の眺望は素晴らしい。真下の海岸には、現存する最古の築港遺跡「和賀江嶋遺跡」がある。