上総 松尾城(山武市)

藩主居館(知事邸)跡の松尾中学校の45度の胸壁と汐見坂

幕末に掛川城から移った太田資美が築いた稜堡式三稜郭

別名

太田城

所在地

千葉県山武市松尾町松尾
藩庁(松尾城址)は、松尾自動車教習所敷地となり、藩主居館跡は松尾中学校が建っている。
松尾自動車教習所:松尾町松尾175、0479-86-2136
松尾中学校:松尾町松尾112、電話0479-86-4411

形状

稜堡式三稜郭

現状・遺構等

【現状】 松尾自動車教習所
【遺構等】 土塁、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2012/01/23

歴史等

慶応4年(1868)5月、徳川家16代家達が駿河国府中(静岡)70万石を立藩すると、駿河・遠江両国の諸大名の領地替えが命ぜられた。
明治元年(1868)9月、遠江掛川5万石の太田資美は上総国武射・山辺郡領内へ転封となり、柴山村(現山武郡)の観音教寺に仮藩庁を置いて柴山藩を立藩した。
翌2年(1869)6月、資美は、版籍奉還を上奏し、柴山藩知事に任ぜられ、その後、武射郡内の猿尾、田越など8ケ村を開墾し、新藩庁などを建設し、明治4年(1871)1月に旧領掛川城の別称「松尾城」に因んで松尾藩と改称した。藩庁は、三角形の星形で稜堡式三稜郭の城であった。
しかし、僅か6か月後の7月に廃藩置県が断行された。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版)」、「房総城下町絵本・さいとうはるき著(崑書房出版刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

松尾藩の藩庁「松尾城」が置かれた地は、松尾自動車教習所となり、入口手前に土塁の一部が残っている。三角形の鋭角な土塁かどうかは分からないが、折れは確認できる。また、教習所の裏の森の中にも土塁が確認されたが・・・・?
尚、近くに石碑があるらしいが、見付けられなかった。
藩主居館(知事邸)の跡は、松尾中学校となり、入口に石碑が立つほか土塁が残存している。
また、中学校の南西下に説明板が立っているが、ここから中学校グラウンドを見上げる姿(地形)の方が、城館跡っぽい。
城門(長屋門)が民家に移築現存しているらしいが、これも分からなかった。
(2012/01/23訪れて)

ギャラリー

土塁跡
松尾自動車教習所の入口手前に土塁の一部が残っている。三角形の鋭角な土塁かどうかは分からないが、折れは確認できる。
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教習所の裏にある土塁
教習所の裏手にある森の中にも土塁が確認できたが、果たして、この土塁は・・・・・?
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松尾中学校への入口にある石碑
城址碑

藩主居館(知事邸)跡に残る土塁
松尾中学校正門脇に知事邸跡の土塁が残っている。
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汐見坂と胸壁
松尾中学校に沿う道筋は、城に通じる切通しで、銚子・蓮沼から柴山・成田に至る古道であった。この坂道を登りつめると遥かに太平洋が望めた。藩主太田資美は、江戸城にある汐見坂にちなんで、この坂を「汐見坂」と名付けた。さらに、高台の地形を利用して、敵を防ぐために胸壁(TOP写真参照)を45度の角度に造った。(説明板より)
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