上総 貴船城(千葉市)

貴船大明神が祀られている土塁

蝦夷に対する軍事拠点として築かれた砦、後に修築して土気城が築かれた

別名

土気古城

所在地

千葉市緑区土気町
土気城址の南端部。「土気城趾・ひまわりの郷」の南約150m
土気城趾・ひまわりの郷:土気町826、電話043-310-5615

形状

砦?

現状・遺構等

【現状】 畑地、宅地等
【遺構等】 土塁?、石碑(説明付き)

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2012/01/23

歴史等

聖武天皇の神亀元年(724)、蝦夷の侵入に備えて、陸奥の国(宮城県)に多賀城を築き、蝦夷の軍事拠点として土気に貴船城と呼ばれる砦を築いたと伝えられる。
鎌倉時代に入り千葉氏の一族相馬胤綱の次子土気太郎が土気の荘の地頭に任ぜられ居住したと言う。
戦国時代畠山重康の居城となるが、下総中野城にいた酒井定(貞)隆の勢力に押されこの地を撤退する。
長享2年(1488)定隆は土気古城跡を修築し土気城を再興する。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

対蝦夷の防衛として軍事拠点として築かれ、時代を下って、修築されて土気城が築かれたという。
土気城址への大手入口(馬出曲輪跡)に土塁があり、その上に「貴船大明神(きんねんさま)」の石碑と祠が建ち、土塁下に城址碑(説明付き)が建てられている。
土塁の高さは2mほどで、櫓台のようになっている。この外側の堀は深さ6m、幅8mほどある。勿論、これらの遺構は戦国期に改修されたものであろうが。
(2012/01/23訪れて)

ギャラリー

貴船大明神が祀られている土塁と城址碑
土気城址への大手入口(馬出曲輪跡)に土塁があり、その上に「貴船大明神(きんねんさま)」の石碑と祠が建ち、土塁下に城址碑(説明付き)が建てられている。土塁の高さは2mほどで、櫓台のようになっている。
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土塁の上に祀られている貴船大明神
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土塁の外側の空堀
この堀は深さ6m、幅8mほどあるが、とても入って行けるような状態ではない薮だ(/。ヽ)。勿論、これらの遺構は戦国期に改修されたものであろうが。
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