上総 貝渕陣屋(木更津市)

住宅地の真ん中に立つ「木更津県史蹟」の石碑と説明板

11代将軍徳川家斉の側御用人・林忠英が、若年寄に昇進し築いた陣屋

別名

桜井陣屋

所在地

千葉県木更津市貝渕
木更津駅から南西1kmほど。貝渕南バス停を右(西)に入りしばらく進むと、小さな公園がある。この公園左側(南側)を行くと石碑がある。

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:市街地(住宅地)
遺構等:石碑、説明板

満足度

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訪城日

2007/03/18

歴史等

林家は徳川家の祖親氏以来股肱の家として知られた。
林家は信濃小笠原家の分家で、親氏がまだ徳阿弥と称した流浪僧の頃、信濃林郷(松本市)に立ち寄り止宿し、元旦に兎の汁を供されたことから、 諸侯に先立って林家の当主に将軍から兎の吸い物と杯を賜るのが江戸幕府の正月行事の慣例であった。
貝渕陣屋は、11代将軍徳川家斉のお側御用人であった林忠英が、若年寄に昇進して1万石の大名となり、文政10年(1828)築かれた。 忠英は、その後、更に8千石を加増され、合わせて1万8千石を領有した。
しかし天保12年(1841)1月、家斉が没すると忠英は若年寄の職を免ぜられ、同時に加増分の8千石も収公され、 さらには7月には隠居を命ぜられた。
忠英は幸いにも大名の地位は保つことができ、後継者の嫡男忠旭は嘉永3年(1850)に請西村に真武根陣屋を築き移ったため、 貝渕藩は廃藩となった。
慶応4年(1868)、駿河小島藩主滝脇信敏が上総に移封となり、 桜井藩をつくり、ここを藩邸とした。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」、「江戸300藩最後の藩主・八幡和郎著 (光文社新書刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

住宅地のど真ん中に、「木更津県史蹟」の石碑と説明板があるだけで、遺構は全く残っていない。

ギャラリー

「木更津県史蹟」の碑

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