下総 師戸城(印旛村)

三の丸北側の空堀

臼井城の防衛に大きな役割を果たした支城

読み方

もろとじょう

所在地

千葉県印旛郡印旛村師戸(印旛沼公園)
【アクセス】
印旛沼の北西部にある印旛沼公園は、地図にもナビにも出てるのですぐ分かると思います。

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 印旛沼公園
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2009/03/01

歴史等

師戸城は、千葉氏の一族であった臼井氏の居城・臼井城の支城として14世紀に築かれたといわれる。
その後、幾度も改修され、現存するような形となったのは戦国時代の16世紀中頃と推定される。
城主については明らかでないが、江戸時代初期に書かれた「臼井家由来抜書」には、鎌倉時代に臼井四天王の一人として師戸四郎なる人物がいたとあり、この城に密接な関係があったと推定される。
印旛沼の対岸にある臼井城とは渡しで連絡され、 臼井城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられ、多数の兵・兵糧・武器の収容を目的とする兵站基地としても機能したと考えられる。
永禄9年(1566)の上杉謙信の臼井城攻めにも、よくその猛攻を防いだ。
しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の際の、豊臣軍による下総攻略で落城し、臼井城とともに命運を共にした。
『「現地説明板」、「房総の城郭・千葉城郭研究会編」参照』

現況・登城記・感想等

師戸城址は印旛沼公園として整備され自由広場(野球グラウンド等)・児童公園・梅林等々となっているが、土塁・空堀等々の城址遺構も良好に残されている。
中でも、三の丸周辺の土塁と空堀は規模も大きいだけでなく、横矢も鮮明で、見応え充分だ。
また、本丸・二の丸間を区切る空堀と土塁も、規模こそ小さいが、折があり、さらには土橋が架かり障子堀のような姿が何ともかっこよい。
また、二の丸跡の展望台から印旛沼を見下ろす眺望は良く、すぐ近くには臼井城址が見え、この城との密接な関係がよく分かる。
登城前には、これほど壮大な土塁や空堀が残っているとは想像だにしていなかったので、得した気分になった。よくぞ、公園化したときに壊さないでくれたものだ。感謝!
(2009/03/01登城して)

ギャラリー

師戸城の図(現地説明板より)
略図が説明板に載せられているのは有難いとはいうものの、これだけ簡素?(いい加減?)な略図は初めてで残念だ!おまけに、堀が緑色で土塁が青というのは勘違いしやすい!!

印旛沼からの城址遠景
城址の南側(臼井八景「師戸帰帆」の場所)から眺めたものである。向こう岸の緒戸(師戸)は昔は漁師の帆舟が盛んに出入りする活気のある河岸で、臼井の舟戸との間を行き来する舟の船着場として賑わっていたそうだが、漁師がめっきり減り、さらには昭和38年に舟戸大橋ができてからは渡し場もなくなり昔の帰帆の風景はほとんど見なくなってしまった。今日は、あいにくの雨であったが、枯れススキと相俟って一段と侘しさが感じられるこの光景が結構気に入ったが、どうでしょうか?
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道場台
師戸城跡は印旛沼公園となり、根古屋地区と三の丸の間に位置する道場台(いわゆる四の丸)跡北部は駐車場となっている。道場台辺りは、公園化に伴い、かなり改変され一部は児童公園にもなっている。
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三の丸への虎口
三の丸への虎口両側の土塁は3m以上もある大規模なもので、土塁外側には大規模な空堀が掘られており、土橋が架かっている。
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三の丸北(土橋左側)の空堀
この空堀は規模が大きいだけでなく、横矢がかかり本当に見応えがある。堀底から土塁上までは高さ5~6mほどあり守りの要である。表紙写真はこのもう少し奥の部分の空堀である。
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三の丸北(土橋右側)の空堀
右側の空堀は少し埋まっているが、こちらも往時はもっと深かっただろう。
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三の丸・二の丸東側の切岸
高さ5~6mほどある切岸が南北に150mほど続く光景は見事だ。この辺りも、往時は空堀になっていたようで、少し窪んでいる。
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三の丸
三の丸は、この城の最大の曲輪で周囲を全て土塁がめぐっていたようで、今も多くの土塁が残っている。多くの部分が自由広場となり、野球をやっている人が。
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三の丸南西部
南西部へ突き出た部分は梅林となり満開時は多くの人で賑わうらしいが、今年は早く咲き終わってしまい閑散としていた。
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二の丸虎口
三の丸と二の丸間の空堀には橋が架かっているが、この橋は公園化した時に架けられたものであろうが、往時も土橋か木橋が架かっていたと思われる。
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二の丸・三の丸間(土橋左側)の空堀
左上が三の丸、右上が二の丸で、空堀両側(二の丸と三の丸)には土塁があり、堀底からは高さ4~5mほどある。
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本丸・三の丸間(土橋右側)の空堀
左上が本丸、右上が三の丸南西部である。この空堀は屏風折のように複雑に横矢がかかり実にかっこいい。その上規模も大きく、堀底から本丸上までは5mはあるだろう。
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本丸・三の丸南西部間の空堀
上写真の堀底へ降りて行き、反対側から撮ったもので、右上が本丸、左上が三の丸南西部(梅林)である。こちらから見ると、さらにかっこいいと思った。
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㊧二の丸
二の丸は芝生広場や花木園となり休憩所が設けられている。
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二の丸北側の土塁
三の丸の北側には土塁が良好に残っている。
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展望台(物見台?)
二の丸跡南は印旛沼に面しており、物見台跡らしき場所には展望台があります。尤も、展望台とは云っても高い建物があるわけではないが充分見晴らしは良い。
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城址碑
展望台にはモダンな城址碑が設置されている。
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展望台からの眺望
展望台からは印旛沼全てを眺めることができ、北方面わずか1.5kmには臼井城址が見える。
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本丸・二の丸間の空堀と土塁
空堀の右が二の丸、左側が本丸。この本丸・二の丸間を区切る空堀と土塁は、規模こそ小さいが、折があり、さらには土橋が架かり障子堀のような姿が何ともかっこよい。かなり幅も狭いので、障子堀で堀の中は泥であった可能性が大きいような気がするが・・・?
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本丸
扇形のような三角形で、南側(写真左奥)は急崖になっている。二の丸との間には南北に堀(写真手前)があり、北側の三の丸間(写真右奥)には大規模な土塁と空堀で区切られている。
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コメント

小頭@和平(2009/03/09)

今日は。

小生も一週間遅れとなりますが、7日の土曜日に高田山城、岩戸城、船戸城を経由してようやく師戸城へと参りました。
本来ですとスルーいたしますが、こちらの画像を拝見いたしましたことによりこの際マイナー志向を一時棚上げいたしました(笑)

なお土曜日のため家族連れなどの人出を想定し、わざわざ日没間際に訪問を。
黄昏時のために、却ってくっきりとした土塁ラインの画像を撮影することができました。
また気温が下がり始めた城跡公園は人影は殆どなく、出迎えてくれた師戸城を住処としている2匹のネコと仲良くなるなど大収穫でございました。

それでは、失礼をいたします。

タクジロー(2009/03/10)

師戸城の土塁は思いがけないほど良好に残っていますね。
小頭@和平さんのサイト見せてもらいました。
折のある土塁の写真見事ですね。

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