下野 杉山城(市貝町)

本丸の東側の曲輪の土塁(西部分)

対宇都宮氏に備えた那須方千本氏の支城

所在地

栃木県芳賀郡市貝町杉山字サイチ
【アクセス】
*市貝町役場から県道163号線を4kmほど北上すると、*小貝郵便局があり、ここからさらに300mほど進むと左手に「杉山城址←300m」 の案内板が立っているので、そこを入って行く。
山の中へ入る手前に車1~2台の駐車スペースがあるが、そこに駐車してよいかは不明。私は山の反対(西)側 (ここから山の南側を廻って300mほど)の公民館の駐車場に置いた。
*市貝町役場:栃木県芳賀郡市貝町市塙1280、電話0285-68-1111
*小貝郵便局:栃木県芳賀郡市貝町杉山687−2、電話0285-68-0502

形状

山城(標高約150m、比高約45m)

現状・遺構等

【現状】山林
【遺構等】曲輪、土塁、空堀、入口案内板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2009/02/19

歴史等

杉山城の築城時期は不明であるが、薄根家継が千本城の支城として築城したと伝えられている。
市貝町には、小貝川右岸(西側)の宇都宮氏方に備えて、那須氏方の千本城を本城とする支城が多く築かれ、他に大谷津城続谷城、田野辺城などがある。
『とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)より』

現況・登城記・感想等

久し振りにとんでもない城址へ登城してしまったというのが本音である。
兎に角、道が全く無い! それに、冬にも関わらず薮がひどい! さらに、枝打ちなどほとんどされていないような鬱蒼とした杉林で薄暗い上に足元はグジョグジョ、そして歩くと枯れ枝や落ち葉でパキパキと大きな音!(ウーム)。茨も多く、引っかき傷だらけ・・・( ̄ー ̄;。
真冬で、それほど深い山ではないので、熊出没の心配は多分ないし、蛇も大丈夫だろうとは思うものの、妙に気持ち悪くて、臆病風が・・・・・(冷汗)。
ところが、城址そのものは土塁や空堀等の遺構が実に良好に残り、見応えも充分だ(*^_^*)
しかし、何しろ歩きづらくて・・・。それに動物苦手癖が(こちらが本音)・・・・・。
結局、山の中をほっつき歩くのは15分ほどで早々に引き返してきてしまった。
というわけで、何処を、どう歩いたのかよく分からず、帰って来てから縄張図と突き合せしてサイトを作成することに。ホント、ナサケナイ(/。ヽ)。
少しでも整備がされたら素晴らしい城址になるんだろうけどネエ。
(2009/02/19登城して)

ギャラリー

杉山城縄張図(余湖くんのホームページより)
杉山城は突出した丘陵の南側から急傾斜の山道を登りつめた所に本丸跡がある。本丸は東西約50m、南北約55mの南北にやや長い方形を呈し、幅2~4m、深さ約3mの空堀がめぐっており、南側に1ヶ所、西側に2ヶ所の虎口がある。南側の虎口が大手口であろう。本丸の東・西・南側の3方は急崖で、本丸南西に築かれた連郭と本丸北側と二の丸東側の複雑な構造が防御を堅固にしている。
本丸北東部に櫓台跡があり、本丸の東方に井戸跡がある。また、櫓台跡の北方30mの所には、幅3m、深さ3mほどの堀切が東側の崖まで達している。
「とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)より」

sugiyamaitizu

案内板
この案内板が曲者!!「確かに城址まで300m」というのは本当だ。しかし道が無い!!
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お堂
案内板から50mほど進むと、このお堂へと出るが、ここから登城道がない。右へ行く道があるにはあるが、10mほど行くと墓があり、そこからは全く消え失せる。
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直登
止むを得ず、道の終点から左側の急斜面を強引に直登した。帰ってから腰痛が!おまけに風呂に入ったら足の裏と膝下の筋肉が痙攣(ガクッ)。尤も、当日の直登はここだけではなかったし、今日一日で山中を2万5千歩だったのも効いたのかも(自信回復?!)。
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井戸跡?
急斜面を直登していくと、登り切った辺りに井戸跡のようなのを見つけたが、この井戸が「とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)」の縄張説明にある「本丸の東方の井戸跡」なのか、後世に掘られたものなのかは分からない。
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登城道?
尾根を20mほど直登すると東の方へ登って行く道らしきものを発見! 但し、この道も、写真に写っている30mほどでオシマイ!!
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本丸東南の曲輪?
上写真の道を登ると、鬱蒼とした杉林へと出た。よく見ると木々の間に土塁が見える。ヤッター! 帰宅後、縄張図と照らし合わせてみると、どうやら本丸東南の曲輪のようだ。
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本丸東南の曲輪東側の土塁
曲輪の東側には土を削ったような土塁があり、南を除いて曲輪周囲を取り囲んでいるようだ。高さも2m強あり、結構見応えがある。
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本丸東南の曲輪の西側(本丸東側)の土塁上にて
曲輪の西側の土塁をよじ登ると、土塁の外(西)側は空堀になっている。空堀の深さは約3m、上部幅約7mほどある立派なものだ。空堀の左側が本丸らしいが、土塁の内側に空堀があるなんて奇妙な気もするがネエ・・・?
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土塁の上を北へと歩いて行くと、本丸北東部の大きくカーブした空堀が見えてくる。土塁と相俟って、なかなかカッコイイ!
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本丸北東部の空堀
土塁上から空堀へ降りて撮影。そのまま堀底を進もうかとも思ったが、木の枝がかなり邪魔をするし、落ち葉や枯れ枝でかなり埋まり、おまけにグジャグジャ。アキラメー!最近、歳とともに諦めるのが早くなったような気がする(/。ヽ)
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本丸
空堀から本丸へ上がったら、本丸は東曲輪よりも雑木が多くて、もっと歩きにくい( ̄ー ̄;。
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本丸北側の空堀(本丸北側の土塁上にて)
本丸北側の土塁の外側の空堀は、他の部分より深くて迫力がある。
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本丸北西部の空堀(本丸西側北部分の土塁上にて)
この辺りの空堀は、深さは同じくらいだが、幅が少し広くなっている。堀の奥にも曲輪(二の丸)があるようだが、行くのは止めた! あまりにも静かで、枯れ枝と落ち葉を踏み鳴らす音だけが聞こえて薄気味悪いんです。ナサケナイ(/。ヽ)。
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コメント

小頭@和平(2009/02/23)

今晩は。

杉山城、早速拝見いたしました。
森閑とした佇まいが興味をそそりますね。

心肺機能の関係上、比高差は300m前後が限度でございます(苦笑)
画像を拝見する限りでは、小生の体力でも可能に思われますので、今シーズ中に折を見て探訪してみたいと思います。

タクジロー(2009/02/24)

杉山城は比高差はあまりなく、どちらかというと平山城です。
遺構は実に良好に残り、空堀、土塁はなかなか見応えがあり、お薦めの城址です。
多分、夏はかなりの藪かと思いますが、今なら、木の枝や弦が邪魔する程度で、それほどでもないです。
ただ、私は野良猫でさえ苦手で・・・(汗)。
という訳で、15分が限度でした。
でも、また一度ゆっくり見たいとの衝動にもかられます(苦笑)。

寺西チヨ子(2010/01/21)

やっと先祖様の概要がわかり、自分のルーツに関心を持ちました。
小さい時から、父に私たちの先祖は薄根家継で私たちがその子孫だと教えられてきました。
しかし、その父も今は他界し誰にも聞くすべがありません。
申し遅れましたが、私の里は市貝町文谷432の薄根です。
今は、甥が生コン業をしています。
私は、金沢に嫁ぎ教員をしていました。
この内容からすると、城跡まで行く道もなく整備もされてないということですね。
いつの日か私も尋ねてみたいと思います。
それまでに、道だけでもできているといいのですが。・・・・?

タクジロー(2010/01/21)

寺西さま
城址までの道ですが、確かに綺麗に整備はされていませんが足元さえしっかりして行けば入っていけます。
是非、ルーツである城へ行ってみて下さい。
城址まで入れば、あまりにも周りがシーンとしていますが、それさえ気にしなければ大丈夫です。
遺構は、見事に残っています。

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