上野 根小屋城(高崎市)

主郭南西下の曲輪と曲輪間の空堀

武田信玄が西上州を手に入れ後北条氏と上杉氏に対峙した城

所在地

群馬県高崎市山名町、根小屋町
【アクセス】
上信電鉄上信線「高崎商科大学前駅」から西へ登って行くなど複数のコースがあるようですが、私は、「山ノ上の碑」から尾根伝いに「山名城址」経由で約1.3kmを歩いて行きました。尚、「山ノ上の碑」の下には駐車場が完備しています。
尚、「山上ノ碑」はナビで「山名町」を指定すれば出ると思います。
(高崎自然歩道案内図) ~画面をクリックにて拡大~
高崎自然歩道絵図

形状

山城(標高197.7m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、土橋、堀切、竪堀、横堀、井戸跡、遺構案内板、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2008/12/20

歴史等

根小屋城は、上野誌・関東古戦録等に、永禄11年(1568)或いは永禄13年(1570)に、武田信玄が、山名城、鷹ノ巣城(茶臼山城)の間に新城を築き、信州佐久郡望月の城主・望月甚八郎、同じく伴野庄の住人伴野助十郎を入れて守らせたと記されている。
永禄5年(1562)箕輪城を落とした信玄は、西上州を手中におさめて、北条氏康、上杉謙信と対峙していた。
この城は狼煙台として、倉賀野、木部、和田の諸将を監視するため、守兵は信州の信頼できる将兵を入れたものである。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

根小屋城跡へは、複数のハイキングコースがあるようですが、私は、山ノ上の碑、山名城経由の高崎自然歩道コースを行きました。山ノ上の碑から根小屋城址までの約1.3km強の「石碑(いしぶみ)の路」には、上野国を詠んだ万葉の和歌が刻まれた碑が27基も建ち、気持よく散策できます。
根小屋とは、平素、城兵が居住する所をいい、何ともありきたりな名前の根小屋城ではありますが、最高所に主郭を置き、その周囲を空堀や腰曲輪が巡る城跡は、往時の姿を良好に残し見応え充分です。
しかも、城跡は藪も少なく、まさに武田流築城術を目の当たりにすることが出来ると言っても過言ではありません。
登城前から、多少は期待していましたが、ここまで素晴らしい城跡とは想像していなかったので、得をした気分になりました。800城目という記念の登城に申し分のない城址でした(*^_^*)。
(2008/12/20登城して)

ギャラリー

根小屋城縄張図(余湖くんのホームページより)
根小屋城の縄張りは、最高所に本丸を置き、その周囲に塁段に腰曲輪が巡らされています。 
根小屋城縄張図

登城口
根小屋城跡へは、複数のハイキングコースがあるようですが、「山ノ上の碑」から尾根伝いに「山名城址」経由で約1.3kmを歩いて行きました。尚、山ノ上の碑の下には駐車場が完備しています。
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山名城址との分岐点
山ノ上の碑、古墳を見てから尾根道を進むと、山名城址と根小屋城址の分岐点へ出ます。真っ直ぐ進むと根小屋城址です。
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「水戸黄門と山賊」の説明板
山名城と根小屋城の分岐点の少し先に何故か「水戸黄門と山賊」の説明板が立っています。説明板によると「徳川栄華物語からの抜粋で、諸国漫遊の途次、高田越後家の騒動を治めた水戸黄門は、助さん、格さんなどをお供に、高崎城下に逗留した。ある日、一行は山名八幡宮へ参詣の帰りに裏山で、山賊に襲われた母娘の危難を救った」とあり、その裏山というのが、この辺りではないかとありましたが、その真偽は、言うまでもないですね(笑)。
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根小屋城へと
さらに、尾根道を歩いて来ると、この分岐点へと突き当たる。ここを右へ尾根道を約500mで根小屋城址です。
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搦手
上写真の分岐を右へと尾根道を歩いて来ると、この東屋と説明板の所へと出ますが、ここは搦手にあたります。写真右は「武田信玄と財宝」の説明板で、それによると「軍資金を根小屋城近くの尾根に埋め、事に備えたという話が伝わり、その場所で足を踏むと音が響くので、鳴るが尾根と言う」とあります。音が響くのなら、すぐにでも見つかりそうなものですが、発見されたという話は聞いた事がないですねえ(苦笑)
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いよいよ城址が目の前に
上写真の所から少し降りると、正面に城址が見えてきます。この光景も、如何にも古城跡といった感じで、なかなか絵になります。
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最初に出会う堀切
上写真を進むと、最初にこの堀切が左手に見えます。唯一の尾根続きを分断しています。
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主郭東南下の空堀
さらに進み、城址説明板の前を通り進んで行くと、堀切のように見えるこの空堀へと出ます。
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上写真の凹部分を登ると、この空堀へと出ます。写真は振り返って撮ったもので、右側上が主郭です。
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主郭東南下の曲輪
この曲輪は、上写真の左側土塁上の曲輪で、非常に細長い曲輪で、この左下にも腰曲輪が見えました。
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主郭下東角の空堀
空堀は、主郭下周囲をめぐり東角から北方面へと続いています。
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大手
上写真から北東へ廻ると大手へ出ます。大手道は竪堀様の通路になっており、あまり複雑な形態ではありません。
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竪堀?崖?
大手道のすぐ横(北)に、案内板が設置されていませんが、竪堀のような地形がありました。これが何ともかっこいいです。てっきり竪堀かと思ったのですが、どうやら自然の地形のようです。
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主郭北側の曲輪(三の丸)
主郭北側下には、非常に細長い腰曲輪があり、案内板には「二の丸 腰曲輪」となっていましたが、写真奥の上にも「二の丸」との案内板が設置されていました。ということで、ここでは、この曲輪を三の丸としておきます。三の丸と主郭間(写真左)も空堀があります。
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三の丸横の空堀
三の丸と主郭間も空堀が設けられています。所々に畝堀を思わせるような凸があるが水を溜めるためでしょうか? 左上が主郭で、右が三の丸です。
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段曲輪
三の丸下は、曲輪が塁段になっています。私は段曲輪の姿が妙に好きです。
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井戸跡
三の丸の一番西には井戸跡あり、その横が土橋になっています。
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土橋
井戸の横に土橋とは珍しくないですか? また、土橋の左側も凹んでおり、水を溜めたのでしょうか? 右上奥が二の丸です。
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竪堀
井戸のすぐ北側には竪堀がありますが、先程の崖の方がよほどカッコイイ!?
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二の丸
二の丸は、あまり広くありません。
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主郭南西下の曲輪
この曲輪も非常に細長く、主郭との間に空堀がある。写真右が空堀、その上が主郭。
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主郭南西下の空堀
この空堀も実にかっこいい!また、この空堀も畝堀のようになっています。
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主郭
主郭は周りの曲輪より10m近く高く、結構広いのですが、木々に遮られて、あまり眺望は良くありません。展望台が建てられていましたが、「きけん!!のぼらないでください」となっていました。実際に、如何にも朽ちていそうで登るのは止めました。
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主郭枡形
植え込みが邪魔なのと逆光のため写真はもう一つですが、結構大規模な枡形です。
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坂虎口
主郭には南東部の大型枡形の他に、北東部に「坂虎口跡」がありますが、今では、とても通れるような代物ではありませんw(*゚o゚*)w。坂虎口というより、「崖虎口」と名付けた方が正解です(苦笑)。
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