甲斐 要害山城(甲府市)

本丸搦手口前の堀切

武田信玄の父信虎が躑躅ケ崎館の詰めの城として築城、信玄出生の城

別名

要害城

所在地

山梨県甲府市上積翠寺町
【アクセス】
積翠寺温泉「ホテル要害」の背後の山が城跡です。ホテルの東側が登城口で案内板があります。ホテルの駐車場を拝借しました。
ホテル要害:甲府市上積翠寺町1003、電放し055-253-2611

所要時間

登山口から本丸まで約35分、今回の総見学時間は約2時間

形状

山城(標高:780m、比高:260m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、虎口、石積み、堀切、竪堀、井戸、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2001/10/06
2006/06/03

歴史等

信玄の父武田信虎が、甲斐国内をほぼ統一し、甲斐国の中心である府中(甲府)への進出を決断して、永正16年(1519)12月に新館(躑躅ヶ崎館)を落成させ移り住んだ。
そして、翌17年(1520)に、石水寺(積翠寺)の丸山に緊急時に立て籠もる詰めの城として要害城を築いた。
大永元年(1521)、信虎夫人が当城に避難した際、嫡男太郎(晴信・信玄)を出産した。
要害城は、信虎・信玄・勝頼と3代にわたって使用された。
武田氏滅亡後、加藤光泰の甲斐領有期に修築・再整備されたが、甲府城築城により廃城となった
『「歴史と旅・戦国大名総覧(秋田書店刊)」、「現地説明板」他参照』

現況・登城記・感想等

要害山城は、標高780m、比高260mの険しい山に築かれた山城で、その縄張は、山頂部に本丸を置き、そこから東西に延びる尾根に曲輪を塁段状に設けた連郭式山城です。
要害山城の特徴は、山腹から本丸へと複雑に入り組む曲輪群と枡形虎口が連続的に付設され、登城道を何度も曲げて非常に複雑にしていることでしょう。
各曲輪の門には、枡形、石垣、スロープ状の土橋等々様々あり見応えがあります。
また、要所には竪堀や堀切を設けて防備を固めています。
このように要害山城は技巧的な山城で、信虎による築城後は信玄・勝頼、さらには加藤光泰時代に至るまで何度も改修されており、中世の縄張りと織豊期の技法が入り混じった見応えのある城です。
(2006/06/03登城して)

ギャラリー

要害城地形図
谷を隔てて、南東尾根上に支城の熊城がある。
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【登城記】
前回(2001/10/06)は甲府駅から20分ほど歩いて躑躅ケ崎跡へ。見学後、だらだらと長く続く坂道を1時間半ほど歩いて要害山城山麓へ到着したと思ったら「熊出没注意」の看板があり、最近よく出るとのこと w(*゚o゚*)w。 折角、ここまで苦労して歩いて来たのにという思いもあり、どうしようか迷っていると散歩の人に出会いました。そこで、その旨を尋ねると「熊は知らないが、猪がしゅっちゅう出てきて畑を荒らすので困っている」とのことでした。「熊も怖いけど猪もいやだなあ。おまけに時間も3時過ぎだし・・・」と考えた末、涙を飲んで諦めました。
という訳で、そのリベンジです。今回は、会社の友人・友井さんとの登城ですが、無理をせず車で登城口のところにある「ホテル要害」まで行き、そこから登城しました。
登城口「ホテル要害」のところから城址全景を
前回は秋(10月)でもあり、もっと岩肌がむき出しになっていた記憶があるが、今回は草木が最も元気な6月初頭。それでも、ところどころ岩肌がむき出しになっていて、いかにも中世の天然の要害の山城といった感じがいいですねえ。
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城址碑
登城口には、石碑が立ち、鳥瞰図と説明板が。
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登りはじめていきなりの石垣
登城口から登り始めると、いきなり石垣が現れます。ただ、この石垣は当時のものではなさそうです。このような石垣は、このあとも次々に現れますが、登山道を築くための土留めなどのための石垣のようです。
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竪堀
登城口から8~9分ほど登って行くと竪堀が現れます。
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竪土塁
竪堀に平行して伸びる竪土塁です。
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天然の物見台?
3方にわたって見晴らしがよく、多分、物見台だと思うが全く説明板がない。

門跡 
門跡が非常に多く、はっきりと枡形虎口になっているのは、気がついただけでも3箇所以上ありました。ここから暫く、小規模な曲輪跡がたくさん続きます。。
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不動曲輪 
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不動曲輪からの甲府市内の眺望
不動曲輪からは、木々の間から甲府市内が見え、躑躅ケ崎館の堀(写真ほぼ中央)も見えます。
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門跡
不動曲輪を右手に見て、さらに本丸目指して行くと、すぐにまたまた門跡が現れます。この門(虎口)は、虎口の内側と外側に石積みを施すもので、城内でも最も大きな石を使った立派な城門です。
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曲輪跡
上写真の門跡から入ったところの曲輪は、当城で最も大規模な曲輪です。ここから本丸にかけては大規模な曲輪が連続しています。
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次々と現れる門跡
大規模な曲輪跡が次々と現れるのと同時に門跡(虎口)も次々に現れます。虎口には石段も良好に残っています。
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大規模な枡形虎口
この虎口は、本丸虎口手前の枡形虎口ですが、この枡形はかなり広く、内枡形になっています。
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本丸虎口
本丸虎口は、高い土塁と石積みに囲まれています。
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本丸虎口(内側から)
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本丸
本丸は、標高780m、比高260mの地にあり、周囲を土塁がめぐっています。
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「武田信玄公誕生の地」の碑
本丸跡には「武田信玄公誕生の地」の石碑が立っています。
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本丸周囲の土塁
本丸周囲をめぐる土塁は高さ2mほどあります。
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土塁には、所々に石積みもみられます。
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本丸搦め手虎口
搦手虎口も小規模ながらしっかりと石組みで固められております。
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本丸への搦め手虎口前の見事な堀切
搦手虎口を出るといきなり堀切と土橋が現れます。しかもこの堀切は断面を石垣で固めており、その苔むした石垣がなんとも風情があります。。
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土橋と堀切(竪堀)
搦手口から東尾根を進むと、次から次へと土橋が設けられた堀切が現れます。勿論、堀切は竪堀となって山裾へ落ちて行っています。
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竪堀
次々に現れる竪堀は、全てが見事です。
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石垣
搦手の尾根筋にも、たくさんの石積みが見られます。
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コメント

戦国山城大好き(2013/05/05)

山頂に行く登山道がきつかった(゜ロ゜)
が山頂に近づくにつれ、遺構が残され
登って来たがいがあったと感動(T_T)

タクジロー(2013/05/06)

確かに、登り始めは、結構、きつい坂道ですよね。

スーパーコピー(2013/09/21)

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