信濃 田中城(箕輪町)

僅かに残る土塁の上に立つ石碑

上伊那の名門藤沢氏が最後に拠った城も、今では土塁の一部が残るのみ

所在地

長野県箕輪町三日町991-3
【アクセス】
国道153号線箕輪バイパスの「木下南新町」信号を、1kmほど南下すると、左手(東側)に「綿半スーパーセンター」があります。センターの裏手(南東)に土塁の名残りとともに石碑が立っています。

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 市街地
【遺構等】 土塁、石碑、標柱、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2014/11/08

歴史等

天文14年(1545)、武田信玄との戦いで福与城を開城した藤沢頼親は、府中の小笠原長時に身を寄せて「箕輪殿」と言われていたが、長時が没落したあとは、三好氏を頼って京都へのぼったりしてあちこちを放浪していた。
そして、信玄の死後、また伊那へ舞い戻ると福与城跡からほど遠からぬ地に田中城を築いた。
しかし、城が未完成のまま、頼親は織田信長が本能寺の変で倒れたあと、後北条氏に属したため、徳川氏に従った保科氏・知久氏・小笠原信嶺などから攻められ滅亡した。
その後、飯田の小笠原氏の箕輪領統治の際には田中城に陣屋がおかれた。
『「信州の城と古戦場・南原公平著(しなのき書房刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

上伊那の名門藤沢氏が最後に拠った田中城ですが、今では、土塁の名残りとともに石碑と説明板が立っているだけです。
その前をスーパーの買い物客が多く行き交いますが、誰も気にもしていません。諸行無常を感じますネ(苦笑)。
(2014/11/08訪れて)

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