信濃 林小城(松本市)

主郭石垣

林大城と相対した城で、小笠原氏本拠の山城

別名

福山城

所在地

長野県松本市里山辺5259他

形状

山城(標高796m、比高約160m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、石垣、空堀、竪堀、堀切、標柱、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2007/12/09

歴史等

林城の築城は小笠原氏系図によれば小笠原清宗の時代に築かれ、井川館から移ったものといわれている。
林小城は、里山辺林集落東側に大嵩崎(おおつざき)集落を挟んで、林大城と相対しており、信濃国守護小笠原氏の本城にふさわしい構えである。
林小城は古城ともいわれるので、大城より古いと考えられてきたが、最近の研究では小城の中心部の縄張りは複雑で大城よりも後に築城されたと推測されている。
小城の主郭を取巻く石垣や縄張などは、山家城桐原城との共通性が高い。天文19年(1550)7月15日に武田氏の攻撃を受けて大城と共に自落した。
『現地登城口説明板より』

現況・登城記・感想等

大嵩崎(おおつき)集落を挟んで林大城の南側の山が林小城である。登城口は、林小城の山裾に沿って、大嵩崎集落へ入って行くと、途中に石垣の前に説明板があり、その横にある。
登城道は林大城並みに綺麗に整備されているとまではいかないが、幅30~50cmほどの手造りのような細い道が造られ、結構歩き易く有難い。
途中、塁段になっている郭跡を下に見ながら登って3郭に着くと、2郭の石垣が一部残っているのを見つけ嬉しくなってくる。
さらに、2郭への虎口越しに、正面の良好に残る主郭の石垣が見え益々嬉しくなってくる。主郭北側と東側の石垣は非常に良好に残っている。2郭から見上げると、主郭北側から東側へと続く石垣が南の方へと周る姿が実にかっこいい。この石垣を見るだけでも登城した甲斐があるというものだ。
主郭上の周囲をめぐる土塁(石塁)の姿もなかなか良い。南側は幅も広く櫓台になっていたのであろうか?
また、主郭の奥(南側)にはかなり大規模な堀切がり、さらに奥にも堀切を確認できた。
(2007/12/09登城して)

ギャラリー

小笠原氏城跡群略図(林大城の2郭下説明板より)
筑摩山地の西側に突き出した尾根に構築された林城と一括される大城と小城は、狭間に大嵩崎集落を挟んで連立し、林城の東に深く入り込む山辺の谷には桐原城・山家城(やまべじょう)を配して小県佐久地域に備え、北方は伊深城・ 犬甘城(いぬかいじょう)・平瀬城などを配して固め、諏訪伊那地方に通ずる南方の要には埴原城(はいばらじょう)を構える他、筑摩山地の西面の各所に砦を築いて、一帯は大要塞群をなしていた。
小笠原氏城郭群

林大城と小城(右手前の山が林小城。奥の山が林大城)
林大城と小城

林小城への登城口
登城口は、林小城の山裾に沿って、東方向の大嵩崎集落へ入って行くと、途中、石垣の前に説明板があり、その横に登城口がある。
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登城道
登城道は林大城並みに綺麗に整備されているとまではいかないが、幅30~50cmほどの手造りのような細い道が造られ、結構歩き易く有難い。
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2郭の石垣
3郭に着くと、2郭の石垣が一部残っているのを見つけ嬉しくなってくる。
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2郭への虎口越しに主郭の石垣
さらに、2郭への虎口越しに、正面の良好に残る主郭の石垣が見え益々嬉しくなってくる。
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2郭から主郭北面の石垣を
主郭北側と東側の石垣は非常に良好に残っている。
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2郭から主郭石垣を② ~クリックにて拡大画面に~
2郭から見上げると、主郭北側から東側へと続く石垣が南の方へと周る姿が実にかっこいい。この石垣を見るだけでも登城した甲斐があるというものだ。
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1郭東面の石垣
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主郭
主郭上の周囲をめぐる土塁(石塁)の姿もなかなか良い。南側は幅も広く櫓台になっていたのであろうか?南側土塁手前には石段があり、ほとんど字の消えた城址標注が設置されている。城址碑くらい何とかならないものだろうか?
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主郭土塁
この土塁の曲線が何ともいえずかっこいい!
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2郭東側(主郭上の土塁越しに、右下の腰曲輪が2郭)
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2郭西側(主郭から撮影)
冬で葉っぱが落ちて麓は勿論、遠く北アルプスの山並みまで見え、なかなかの光景だった。
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主郭南側の堀切
この堀切は結構な規模である。主郭部よりも、その奥(南)の方が高いので、厳重な防備が必要としたのであろう。 
DSC04182

堀切越しに1郭を見上げる
こうして見上げると、なかなか堅固であるのが分かる。
DSC04187

さらに奥(南)に見つけた堀切
この堀切には真新しい石垣(右写真中央やや左)があったが、砂防ダムであろう。
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竪堀
堀切は、竪堀となり山裾へと延びている。
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