みくら清水からの戌山城登城口に立つ案内板など
越前大野城へ移る前の戦国時代の山城
読み方
いぬやまじょう
所在地
福井県大野市犬山
【アクセス】
越前大野城の西約1km弱にある犬山が城跡です。登り口は3ヶ所あるようで、よく整備されているのは南東麓からのハイキングコースのようです。国道158号線の「鎌掛信号」の南西にあるホームセンターに駐車し、国道158号線を北へ歩いて行きます。240mほど進んだ「砂山トンネル」の左の側道を山に向かって登り、道なりに進むと赤い矢印がある看板があり、そこから山道を登って行きます。
形状
山城(標高325m、比高160m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、竪堀、土橋、説明板
満足度
?????
訪城日
2016/11/04
歴史等
戌山城は、室町時代に幕府の重臣(管領)斯波氏の一族によって築かれ、織田信長の部将金森長近が亀山山頂に大野城を築くまで、越前美濃国境間の要として重視されていました。
途中、斯波氏の内紛を機に朝倉氏の居城となりましたが、それは、三代目城主持種の子である斯波義敏と斯波義廉との家督争いが発端となっており、応仁の乱の一因となったともいわれています。
主郭のある山頂から大野盆地が一望に見渡せ、郭群・堀切・竪堀などの遺構も確認できます。
登山口横にある「みくら清水」は、山頂の兵が日に三度飲料水を汲みに来た、という言い伝えでこの名がついています。
『現地(みくら清水脇)説明板より』
現況・登城記・感想等
戌山城は越前大野城のある亀山の1km弱ほど西にある犬山に築かれた典型的な連郭式山城です。
戌山城は、最近「天空の城」として人気の越前大野城を撮影する絶好のスポットとして人気が出てきて、南東山麓から登るハイキングコースが整備されているようです。
戌山城跡の縄張図等を調べると、山頂の本丸から3方に延びる尾根に多くの郭や堀切、さらには畝状竪堀が良好に残っているようです。
特に、北西に延びる尾根に大小様々な堀切や土塁、土橋などが良好に残っているようなので北西山麓の「みくら清水」からの登り口から登城することにしました。
ところが、登り始めると、すぐ藪に覆われ、全く登り道が分かりません。散々、探し求めた末、夕方近くになり、断念(;>_<;)。
いつか、必ずリベンジをしますヽ(`⌒´)ノ。
(2016/11/24訪れて)
ギャラリー
縄張図(現地案内板より)
歴史ピクニック街道案内図
みくら清水登城口に立つ、この案内板を見て、当然、順調に登って行けると思ったのですが・・・。
戌山城跡全景
当写真は戌山城の西側から撮ったもので、左側の道を進み、突き当りを左へ曲がり、少し行ったところが「みくら清水」からの登城口です。
みくら清水登城口
みくら清水登城口にはTOP写真のように縄張図付きの説明板やハイキングコース案内図があります。また、「歴史ピクニック街道」と書かれた標柱(写真右)があり、みくら清水の説明板が立っています。
さらに「熊出没注意」の看板までw(*゚o゚*)w。この看板、あまり好きではありませんが、意を決して登城です。
藪・薮・薮・・・
登城口から少し登ると、周囲は薮・薮・薮で、全く登って行けるような道がありません。それでも、何とか薮を掻き分けて行ったのですが、遂には全く登れるようなところが見当たらなくなり、ギブアップ(;>_<;)。
「歴史ピクニック街道」とは名ばかりでした。近いうちのリベンジを誓って退散しました(/。ヽ)。
越前大野城から眺める戌山城
越前大野城からは、西方目と鼻の先に犬山(戌山城跡)が見えます。