落山城曲輪を区画する空堀
峯城の出城?or秀吉の陣城?
読み方
おちやまじょう
所在地
三重県亀山市辺法寺町字網中
【アクセス】
県道637号線の「八島橋東詰」信号から西へ1km強、又は、「野登橋北詰」信号から東へ約800m向かうと北側に「亀山梱包センター」という会社があります。この会社の北西の山が城跡です。
会社の西側の農道を北東へ100m弱歩いて行くと、山裾に城址碑(標柱)が立っています。標柱のところから左(西)へ150m強ほど歩いて行くと、右手に山の方へ入って行ける畦道があります。その畦道を歩いて山へ向かうと、山(城跡)の登り口へ出ます。車は「亀山梱包センター」の門脇前の県道637号線が少し広くなっているところに停めました。
(亀山梱包センターの門脇から落山城跡全景を)
形状
山城(標高70m、比高約30~40m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、井戸、碑(標柱)
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2015/05/19
歴史等
江戸時代(17世紀)に藤堂藩の家老によって編纂された伊勢・志摩・伊賀国を扱った『三国地誌』に、辺法寺所在の城館跡として景清宅跡と鶴村弾正が居城したという辺法寺堡が挙げられている。
景清宅跡は、その記載から野元坂館に比定され、辺法寺堡は落山城ではないかという。
落山城の東方約600mにある峯城との位置関係から、その出城としての機能を持ったものと思われる。
『日本城郭大系10より要約』
現況・登城記・感想等
落山城は亀山市の北部、鈴鹿川の支流安楽川北岸の標高70m、比高30~40mほどの丘陵上に築かれた城です。
城跡は、ほとんど未整備状態ですが、北西から南東に延びる尾根上に連郭式に曲輪が配され、曲輪間は空堀や段差でもって区画され、幾つかの曲輪は周囲に低い土塁が設けられているのが確認できます。
「日本城郭大系」の縄張図によると、これら複数の曲輪の北側にも曲輪があるようですが、藪のため進入するのは止めました。
また、城域の北西端部に二重土塁など見どころが多いようで、さらには井戸跡が3ヶ所あるようですが、これまた薮のため諦めました。草の枯れる12月頃にでも再登城することにしましょう。
ところで、落山城とは、城の名前としては、奇妙というか、不吉な名前です。
「日本城郭大系」には、東方約600mにある峯城の出城ではないかとしています。しかし、サイト「近江の城郭」の野暮さんが言う「落山城は、羽柴秀吉が北伊勢進攻で峯城を攻め落とした際に築いた陣城であり、『山が落ちる』でなく『山(峯城)を落とす城』なのでは」という意見に大賛成です。
(2015/05/19登城して)
ギャラリー
落山城遠景
中央の大堀切のように見える分け目の右側の山が落山城跡です。但し、分け目は大堀切ではなく、杉林(左)と雑木林(右)の境目で、その下が登城口です。
【登城記】
登城道
登城道は、切岸のような崖の下の道を東へ向かっています。途中に、2ヶ所、山上の城跡へ登る道もあり、それぞれの曲輪への虎口も確認できます。
虎口
登城道を東端まで登って行くと左上に虎口があります。
曲輪跡
虎口から入って行くと竹が密集した藪(;´▽`A``。ここが、落山城の東端の曲輪跡のようです。侵入できないこともなさそうですが、止めました。
東端の崖
曲輪の東端は急崖です。この崖は、たやすく登って来れそうにはありません。
土塁
曲輪の南面には、虎口から延びる高さ50~60cmほどの土塁が確認できます。この土塁の上を西へ向かって歩いて行くことにしました。
空堀
西の方へ歩いて行くと、右手に空堀が現れます。曲輪を区画する空堀で、幅4m、深さ1m強といったところです。
土塁と曲輪
空堀の西側には曲輪跡があり、この曲輪の南面にも土塁が設けられています。
曲輪を区画する段差
さらに西へ向かうと、段差でもって曲輪が区画されています。
空堀
上写真左奥の曲輪の左側を西へ向かって行くと空堀が現れます。この空堀は、幅4m、深さ2m弱ほどあります。尚、この先にも曲輪跡がありましたが、木が密集しはじめたので引き返しました。
あとで調べると、この先にこそ、二重土塁など、当城跡の見どころがあるようです(;>_<;)。また、草の枯れる12月頃にでも出直しましょう。