伊勢 霧山城(津市美杉町)

本丸跡

南北朝時代に北畠親房の子で初代伊勢国司顕能が築いた山城

所在地

三重県津市美杉町下多気、北畠神社の裏の山
北畠神社:上多気1148、TEL059-275-0616

形状

山城(標高:610m、比高差:約240m)

現状・遺構

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、櫓台、堀切、石碑、説明碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2008/05/06

歴史等

南北朝から戦国時代、この多気の地は伊勢国司であり大名であった北畠氏の本拠地であった。その中心が多気のほぼ中央に位置する北畠氏館詰城及びその背後の山頂にあるこの霧山城からなる北畠氏城館である。
南朝方の最も有力な公卿であった北畠親房の三男の伊勢国司顕能が、建武3年・延元元年(1336)親房と共に入国すると、伊勢地方に南朝方の城砦が設けられた。しかし、北朝方足利氏にたびたび攻められ、康永元年・興国3年(1342)頃、顕能は多気に移り城館を築いたと言われる。
顕能がこの地を選んだのは地形が防御に適していたことのほかに伊勢、吉野間の交通連絡と兵糧輸送の便を考えたものと思われる。伊勢地方の南朝方の拠点が相次いで北朝方に攻め落されたときも本城に足利軍が侵攻したという記録はない。
両朝統一の後、北畠氏はこの地方の大豪族として勢威を振い8代続いたが、天正4年(1576)織田信長に攻撃され、本城もついに落城した。
『「霧山城跡本丸跡説明板」、「北畠神社内説明板」参照』

現況・登城記・感想等

北畠氏館(北畠神社)を目指して車を進めて行くと、途中、比津峠へと出た。そこに霧山城址登山道の案内板があった。
読んでみると、「霧山城への登城道は2つあり、一つは、この比津峠から登る道で、距離は約460mと短いが急坂、もう一つは北畠氏館 (現北畠神社)から登る道で、約1300m」とある。そして、その後ろにお決まりの「熊出没注意」の看板!!その登城道を見上げると、確かに熊が出ても不思議ではない、谷深い暗い急坂の道である。今回は、家内と姉との3人での登城である。二人に聞いてみると当然の如く、この道は拒否された(笑)。
というわけで、北畠氏館庭園裏からの登城に・・・。ところが、ここにもやはり「熊出没注意」の看板があった。いつものことながら、あまりいい気持はしないが、今回は、トルコで手に入れた武器?(やたらとよく鳴る鈴で、家内はあまりにもうるさいとも言う)があり、何となく安心して登城。
道は、きれいに整備されており気持ちよく歩ける。10分ほどすると詰城跡へと到着。 詰城跡には、曲輪や竪堀、堀切等が残っている。
そこから谷合の道をひたすら登って行くと2~30分ほどで、鐘撞堂跡(南曲輪)下へと出る。ここから鐘撞堂上まではかなりの急坂であるが、登り切るとほぼ360度のパノラマが広がり、最高の眺望だ。また、ここから目の前に見える北曲輪も実に絵になる。
さて、ここから一旦、高低差30mほどの急坂を降りてから、本丸のある北曲輪へと登る。北曲輪は、芝生の緑が実に鮮やかで、また山ツツジがあちこちに咲いていて実にきれいだ。城跡というよりも、弁当を広げて食べたくなるような、ピクニック感覚の山だ。
周りを土塁で囲まれた本丸跡は、広くはないが何ともかっこいい。本丸跡には石柱と立派な石碑、説明碑がたっている。明瞭に残っている本丸東側の堀切もなかなか見応えがある。
一番西側にある米蔵跡からの眺望は素晴らしく、その先には吉野の山々も望むことができ、北畠顕能が吉野に近いこの地を選んで築城したことを思い偲ばせてくれる。
尚、山麓の北畠氏館跡(北畠神社)から、本丸跡までは、鐘撞堂跡経由で45分ほどである。
(2008/05/06登城して)

ギャラリー

北畠氏館、北畠氏館詰城、霧山城の図(北畠神社西側入口の説明板より)
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北畠氏館と霧山城の航空写真(北畠神社西側入口の説明板より)
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比津峠
北畠氏館(北畠神社)を目指して車を進めて行くと、途中、比津峠へと出た。そこに霧山城址登山道の案内板があった。読んでみると、「霧山城への登城道は2つあり、一つは、この比津峠から登る道で、距離は約460mと短いが急坂、もう一つは北畠氏館(現北畠神社)から登る道で、約1300m」とある。
そして、その後ろにお決まりの「熊出没注意」の看板!!その登城道を見上げると、確かに熊が出ても不思議ではない、谷深い暗い急坂の道である。今回は、家内と姉との3人での登城である。二人に聞いてみると当然の如く、この道は拒否された。
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登城口と最強の助っ人(武器)?の鈴
というわけで、北畠氏館庭園裏からの登城に・・・。ところが、ここにもやはり「熊出没注意」の看板があった。いつものことながら、あまりいい気持はしないが、今回は、トルコで手に入れた武器?(やたらとよく鳴る鈴で、家内はあまりにもうるさいとも言う)があり、何となく安心して登城。
DSC09058 img_20080515T225018765[1]

登城道
道は、きれいに整備されており気持ちよく歩けます。10分ほどすると詰城跡へと到着します。詰城跡には、曲輪や竪堀、堀切等が残っています。そこから谷合の道をひたすら登って行く。
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詰城
登城口から10分ほど登ってくると詰城跡へと到着します。詰城跡には、曲輪や竪堀、堀切等が残っています。そこから谷合の道をひたすら登って行く。
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さらに谷合の道を登る
さらに谷合に山道をひたすら登って行きます。 
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途中、こんな注意書きがw(*゚o゚*)w
本当に山深いので道に迷わないように気を付けなければいけませんが、途中、こんな注意書きもあります。ここには、またまた「熊にも注意」なんてのも書き添えられています(苦笑)。 
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鐘撞同跡下(南曲輪)
詰城跡から、ひたすら登ること20~30分ほどで、鐘撞堂跡(南曲輪)下へ出ます。ここから鐘撞堂上まではかなりの急坂です。
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鐘撞堂
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鐘撞堂からの眺望
鐘撞堂に登り切るとほぼ360度のパノラマが広がり、最高の眺望です。
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鐘撞堂から北曲輪を
また、鐘撞堂から目の前に見える北曲輪の姿も絵になります。
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北曲輪へ向かう
鐘撞堂からは、一旦、高低差30mほどの急坂を降りてから、本丸のある北曲輪へと登る。北曲輪は、芝生の緑が実に鮮やかで、また山ツツジがあちこちに咲いていて実にきれいだ。
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本丸
周りを土塁で囲まれた本丸跡は、広くはないが何ともかっこいい。
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本丸から鐘撞堂を
鐘撞堂から見る本丸も良かったが、本丸から見る撞撞堂方面の景色も素晴らしい。
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本丸東側の堀切(堀底から撮影)
明瞭に残っている本丸東側の堀切はなかなか見応えがあります。
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本丸東側の堀切(本丸東側曲輪から撮影)
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堀切から北側山裾へと続く竪堀
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本丸東側曲輪から本丸方面を(右側土塁は矢倉跡)
ここから堀切越しの本丸方面光景は、城跡というよりも、弁当を広げて食べたくなるような、ピクニック感覚の山だ。こんな高い山の頂上が、これほどまで綺麗に整備されているのは奇跡とさえ思うが?お見事!!
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矢倉台(土塁)北側は急崖
比津峠からの登城道はこの北側から登ってくるのだが・・・。強烈な崖である。いつか一度、その登城道を登ってくる価値はあるかもね!?
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