黒田城南郭から主郭にかけての東斜面の畝状竪堀
信長の命による明智光秀の丹波侵攻の際に反織田方として戦った森氏の山城
別名
片山城、木崎山城
所在地
京都府南丹市園部町黒田片山城
【アクセス】
「横田」信号から府道54号を550m程西進し、園部川に架かる橋を渡った所から水田越しに北方に見える山が黒田城跡です。橋を渡って300m程を右折し200m程北上して右折しし、200m程東進した左手が登城口で、案内表示があります。1台なら登城口にぎりぎり駐車できます。
所要時間
登城口から主郭まで約20分
形状
山城(標高261m、比高130m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀、土橋、遺構案内板(スキー板)
満足度
★★★★☆
訪城日
2014/05/18
歴史等
黒田城は、天暦元年(947)、に森筑後守宗政によって築かれたといわれ、代々森氏が居城した。
『有名姓氏録』によると、天文2年(1533)には森越前守高之が城主で、黒井城、籾井城で軍功を挙げたとある。
織田信長の命による明智光秀の丹波侵攻が始めると、高之は八上城主・波多野氏とともに反織田方として、織田方の宍戸城主・小畠氏とは再三小競合いを演じたという。
しかし、天正6年(1578)、明智光秀に攻められ落城したという。
『日本城郭大系11」、「サイト・山城訪問記」他参照』
現況・登城記・感想等
黒田城は、園部川の北方、東へ延びる舌状尾根に築かれた山城で、城の北側を観音峠街道、南側を篠山街道が通る交通の要衝にあった城です。
城の縄張りは、山頂部に主郭を置き、北西尾根に北郭、東尾根に東郭、南尾根に南郭、そして南東へ伸びた尾根の先端の南出郭で構成している。
主郭は南下にのみ数段の腰郭が設けられている。各尾根は浅い堀切で断ち切られ、堀切には土橋が設けられている。東郭のみ、周囲を低い土塁がめぐっている。 また、南郭は天守台のような土壇状で南と西下に腰郭が設けられている。
さて、当城跡の最大の見どころは、何と言っても、南郭の東斜面に配された巨大な畝状竪堀でしょう。他の遺構は、単なる地方の一豪族の城といった感じですが、この畝状堅堀は別格で、これを見ることが出来ただけで満足度超UPです。あまりにも規模が違いすぎるので、恐らく、後年に改修されたものでしょう。
尚、当城は比高差130m程度の山城ですが、登城口から登る沢と最後の南郭への坂はかなり傾斜がきついです。今回、都合によりウォーキングシューズだったので、特に南郭への坂は急傾斜のため滑りやすく、必死に杖をついて(地面に突き刺して?)踏ん張って登りました(;´▽`A``。
また、登城道や遺構案内に古いスキー板が使われているのは、面白いアイデアですね。
(2014/05/18登城して)
ギャラリー
黒田城全景(南側から)
黒田城は、園部川の北方、東へ延びる舌状尾根に築かれた山城です。
登城口
山の下を流れる小川を渡って登城しますが、山裾には獣避けの電気柵が張られ、電気を流すため小型太陽パネルが設置されています。スゴイ! 尚、車は一台だけなら、登城口に立つ「黒田城山のぼりくち」と書かれた看板の前に何とか停めることが出来ます。
登城道(沢)
小川を渡って、山へ入ると正面に、いきなり、山頂から一直線に落ちてきている沢へ出ます。城跡へは、この急傾斜の沢沿いを登って行きます。沢沿いに道らしきものは見当たりません。
最初に現れるスキー板の案内板
ひたすら沢を登り2分ほどすると階段が現れ、さらに1~2分ほど登ると正面に古いスキー板の案内板が現れます。ホッ。但し、字はほとんど消えていて「登・・・・・・左折北」が読めるだけです(/。ヽ)。
登城道
スキー板に「左折」とあったので左手を捜したが、道らしきものは見付かりません( ̄ー ̄;。ところが、右手に、明らかに登城道と思われる道があったので、スキー板の手前を右折して東進しました。ホッ(*^_^*)。
尾根
スキー板のところから3分ほど登ると尾根へ出ます。尾根上には、またスキー板が立ってます。
南出郭
尾根上に登ったすぐ右側に南出郭があります。往時は見晴らしが良かったのでしょうが、雑木がみっしり生えていて全く見えません(/。ヽ)。
急坂
南出郭を見終えて、主郭を目指して、尾根上を左へと歩いて行くと、大変な急坂が待ち受けています。傾斜30度はゆうにあると思われる急坂の上、落ち葉が積もっていて滑るので大変です。
竪堀
急坂の右手を見ると、竪堀が見えました。しかも、よく見ると、その奥にも幾筋もの竪堀が見えます。
畝状竪堀
明らかに畝状の竪堀群です。しかも、急傾斜に掘られている上、規模も大きいようです。
畝状竪堀を見上げる
下から見上げようと思い、滑り落ちそうになりながら、竪堀群の下まで下りて行って写真を撮りました。すごい迫力です。これを見ることが出来ただけで、すっかり満足しました。
南郭へ
再び、先程の急坂を四苦八苦しながら登って行くと、右上にスキー板が見えてきます。そこが南郭ですが、南郭への登り口(虎口?)も生半可な傾斜ではありません。
南郭と腰郭
急坂を登り切ったところが、南郭(写真右)の腰郭(左)です。
南郭
南郭は、天守台のような土壇になっています。
堀切
南郭から主郭へ向かうと堀切が現れ、広めの土橋が架かっています。東(写真右)側は竪堀となって山裾へ延びていっています。
段郭
主郭南下には数段の段郭があります。
主郭を見上げる
そして、いよいよ山頂に置かれた主郭が現れます。この傾斜もかなりのものです。
主郭
主郭は、当城では一番広いですが、それほどではありません。また、周囲に土塁なども設けられていません。
北郭へ向かう
北西尾根にある北郭へは、主郭の北側下を廻って行きます。道の側面(写真奥)は、急傾斜になっています。
北郭と堀切
北郭と主郭の間は浅い堀切で断ち切られ、土橋が架かっています。そして、北郭は、かなり狭く、削平も甘くて自然地形に近いです。
北郭から堀切と主郭を
上写真を反対側(北郭)から撮ったものです。正面奥が主郭ですが、北郭より5~6mほど高いのが分かります。
東郭へ
東郭へは、高低差3mほどの、かなり急傾斜の坂を下りて行きます。
堀切と土橋
東郭の手前にも堀切があり、土橋が架かっています。
堀切と土橋(東郭側から)
東郭①
東郭は、細長い郭で、周囲を低い土塁が取り囲んでいます。
東郭②
東郭の周囲をめぐる土塁