城址は街に埋もれ城址碑だけが
秀吉の命で、浅野長政が坂本城の遺構を使って築いた本丸5層の水城
所在地
滋賀県大津市浜大津(浜大津駅前)
形状
水城
現状・遺構等
現状:市街地
遺構:石碑
満足度
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訪城日
2005/06/04
歴史等
大津城は、坂本城が焼失してから秀吉が浅野長政に命じて、その遺構を使って天正15年(1587)に、本丸5層の水城を構えた。
城主は浅野長政・増田右衛門・新庄直頼と代わり、文禄4年(1595)に近江八幡城から移封された京極高次が城主となる。
高次は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で東軍に与したため石田三成の軍勢に包囲され城に火をかけ敗退した。
合戦後、家康の命により廃城とされ、翌慶長6年(1601)大津城の用材を用いて膳所城が築城された。
大津城の天守は彦根城に移築され、
城門等は膳所城に多く移築された。
現況・登城記・感想等
以前京都支店にいた時に大津営業所が浜大津の駅前にあって、よく来たが、当時は全く気が付かなかった。
大津城址の石碑は浜大津駅を挟んで反対側の通りにあった。
遺構は全く何も残っていない。おまけに、何年か前まではこの石碑付近まで琵琶湖の湖水がきていたようだが、
今は100mほども埋めたてられて、ここにかって水城があったことなど想像も出来ない。尤も、
この工事の時に石垣等が出土したそうではあるが。
(2005/06/04来て)