秀吉時代の天守を想定して?建てられた天守
姉川の合戦後、秀吉が修築・入城し、地名も「今浜」から「長浜」に変更
別名
今浜城
所在地
滋賀県長浜市公園町10番10号
形状
水城(湖城)
現状・遺構等
現状:豊公園
遺構:復興天守、本丸跡の一部に石垣・土塁が僅かに残り、空堀の一部、井戸跡、門(大通寺、彦根城に移築)
満足度
★★☆☆☆
訪城日
1989/11/12
1990/05/05
1996/08/25
歴史等
延元元年(1336)、「バサラ大名」として有名な近江守護の佐々木高氏(京極道誉)が今浜に館を構えたのが始めとされる。
以後、今浜氏が居城した。姉川の合戦の功により、羽柴秀吉が湖北三郡を与えられ浅井長政の小谷城に入城したが、
天正3年(1575))、北陸と畿内を結ぶ水陸交通の要衝である、この今浜に地名も長浜と改め城下町を移し、城も改修し入城した。
天正10年(1582)、本能寺の変後、秀吉が光秀を倒したのち、「清洲評議」で、秀吉は山城・丹波を得て、
柴田勝家が近江三郡と越前を得た。長浜城には勝家の甥の柴田勝豊が入城したが、柴田氏はほどなく秀吉に滅ぼされ、山内一豊、次に内藤信成・
信正が入城した。
しかし、元和元年(1615)一国一城令で廃城となり、彦根城築城時に建物や石垣の石などが持ち去られた。
彦根城の天秤櫓門は当時の長浜城の大手門であり、長浜大通寺の台所門も長浜城からの移築といわれている。
『日本城郭大辞典(新人物往来社刊)参照』
現況・登城記・感想等
秀吉に由来する城ということで、何度も訪れている。
遺構はあまり残ってはいないが、綺麗に整備された公園になっており、琵琶湖を背景にした天守の姿はなかなかのものである。
また、この長浜は北国街道沿いにあり、古い町並みを散歩するのも楽しい。ただ、「鮒寿司」だけは地元の人には最高の珍味らしいが、
私にはちょっと無理!
ギャラリー
北国街道
大通寺
大通寺桜門