川島城跡の東に建てられた模擬天守
三好氏の一族川島兵衛之進が築き、後に阿波九城の一つとなる
所在地
徳島県吉野川市川島町川島193
【アクセス】
国道192号で池田町方面へ西進すると、「城山」信号の一本手前(東側)右手に川島城模擬天守へと続く道があります。これを上りきると模擬天守が建ち、無料駐車場があります。模擬天守の西側、切通しを隔てて川島神社のある辺りが城跡です。
川島城模擬天守:吉野川市川島町川島136-1、電話0883-25-4666
所要時間
今回の見学時間は、模擬天守内も含めて30分弱
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 公園、神社など
【遺構等】 模擬天守、曲輪、堀切?、石碑
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2014/10/15
歴史等
元亀3年(1572)、三好長慶の甥で勝瑞城主の三好長治は弟の十河存保らを派遣して三好氏の侍大将であった篠原長房の籠もる上桜城を攻めてこれを滅ぼした。川島兵衛之進(川島惟忠)はその時の功によって、この地を与えられ、上桜城に代わって川島城を築いた。
しかし、兵衛之進は天正7年(1579)、長宗我部元親との岩倉合戦で、勝瑞城方の諸将と共に討死した。
その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐の際の功により蜂須賀家政が阿波領主となって入国すると、家老林能勝(道感)に命じて城を修築させ、兵300を与えて城番とした。川島城は徳島城の前衛基地として重要なため、阿波九城のうちでも特に重要な五城の一つに指定された。
しかし、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城されることになり、寛永15年(1638)に他の諸城とともに取り壊された。
廃城後も、城山には徳島藩の役所が置かれ、明治になるまで存続した。
『日本城郭大系15他参照』
現況・登城記・感想等
川島城は四国山地が徳島平野に突き出た岩山(古城山)に築かれていました。頂上部の本丸跡は「岩の鼻」と呼ばれ、周囲が削り取られて断崖になり、眼下に吉野川が流れています。
現在、城跡は公園などになり、二の丸跡には川島神社が鎮座しています。
神社の東側の切通し(堀切跡?)を隔てて、昭和56年(1981)に勤労者野外活動施設として建てられた模擬天守が聳えています。
(2014/10/15訪れて)
ギャラリー
模擬天守
川島城跡の東側には昭和56年に勤労野外活動施設として建てられた模擬天守が。
模擬天守から川島城跡を見下ろす
手前右側の川島神社の鎮座する辺りが二の丸跡で、その左側が三の丸跡、左奥やや高くなった森の辺りが本丸跡です。その向こうには吉野川が流れています。
堀切(切通し)
模擬天守と神社の間には切通しがあります。恐らく、堀切跡でしょう。
二の丸跡と三の丸跡
切通しの西側が二の丸と三の丸の跡でしょうか。右手(北側)一段高くなり川島神社が鎮座する辺りが二の丸で、その下の平坦地が三の丸跡と思われます。
本丸跡
三の丸の西側の一段と高くなっている辺りが本丸で「岩の鼻」と呼ばれています。本丸は、腰曲輪など数段からなっています。
岩の鼻からの眺望
本丸の西端は吉野川に接した急崖になり、展望台となっています。
四の丸跡
本丸及び二の丸の北側下が四の丸で、現在は児童公園になっています。背後の岩山は本丸跡です。