筑前 松尾城(福岡県東峰村)

山頂部の松尾城主郭部周囲を囲む石垣を見上げる

「筑前六端城」の一つで、豊前細川氏に対する防御の城

別名

小石原城

所在地

福岡県朝倉郡東峰村大字小石原字城山
【アクセス】
「道の駅小石原」の前を通る国道211号線を400mほど北上すると「小石原」交差点へ出る。211号線は、その交差点を左へ曲がることになるが、そのまま直進するとすぐに入口の案内があり、広い駐車場がある。

所要時間

駐車場から主郭部まで約5分

形状

山城(標高510 m、比高約50m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 主郭周囲の石塁、枡形虎口、櫓台、畝状竪堀、堀切、建物礎石、説明板、遺構説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2012/11/14

歴史等

松尾城は、筑前と豊前の国境に位置し、文献によると14世紀にはその存在が確認されるという。
戦国時代には、秋月氏の家臣と考えられる宝珠山山城守の居城であったと伝えられる。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌6年から福岡城の築城にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため同15年(1610)までの間に、この松尾城をはじめ若松城(中島城)黒崎城大隈城(益富城) 、鷹取城、左右良城の「筑前六端城」を築いた。そして松尾城には中間統胤を城主として任じた。
しかし元和元年(1615)の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。
『現地説明板他参照』

現況・登城記・感想等

松尾城は、小高い丘の上に築かれた山城で、規模こそ小さいが、山頂部の主郭部周囲の土塁や石垣、内枡形虎口、櫓台の石垣が復元整備され、建物礎石も残っている。
主郭部は、2段に造成され、周囲を石垣や土塁で囲まれ、下段の西側には、幅4mほどの内増形の虎口がある。
主郭内には、3間×5間(2棟)と1間×1間(1棟)の礎石建物跡や、東部には櫓台がある。
また、戦国時代末期の遺構と思われる、主郭北側斜面の13本の畝状竪堀や東側尾根の3本の連続堀切も良好に残り、見どころは多い。
尚、地元の方々のお陰でしょう、主郭周囲の笹が刈り取られて見やすくなっており有難い。
(2012/11/14登城して)

ギャラリー

松尾城縄張略図(現地説明板より)
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松尾城跡修復復元(現地説明板より)~画面をクリックにて拡大画面に~
主郭部修理復元

松尾城跡主郭部の石垣を見上げる
駐車場から山の中へ入り、木々の中の道を4~5分ほど登って行くと、突然、目の前がぱっと開け、山の上に松尾城跡主郭部の長~く延びた石垣が現れる。一瞬、思わず「かっこいい~!」と声が出掛かったほどだ(*^_^*)。右側の出っ張った石垣は南側横矢。尚、この南側斜面にも畝城竪堀があるようだが、かなり埋まってしまっているようで気が付かなかった。
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内枡形虎口
主郭への虎口は西側に設けられている。その内枡形虎口の石垣が見事に復元されている。
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内枡形虎口を上から
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主郭
主郭は上段(東)と下段(西)の2段になっており、北側全体と南側の上段には土塁が確認できる。尚、手前には建物礎石があり、また、左側の一番奥には櫓台が見える。
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建物礎石跡
主郭の上段・下段ともに建物礎石跡が確認できる。尚、瓦は出土されなかったという。 
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主郭西側の石垣(主郭南西部から撮影)
山頂部の主郭部へ登り切ったところから撮ったもので、左奥の凹んだ部分が虎口である。
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主郭部北側の石垣(主郭北西部から撮影)
虎口を通り過ぎて北へ行き、主郭北西部外側から撮ったもの。石垣下の犬走りの下の斜面には畝状竪堀が見える。
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こちらは、主郭部東端の櫓台脇から撮ったもので、手前左側の石垣は櫓台の北側の石垣。櫓台脇には主郭へ登るスロープがあるが、往時もあったのだろうか?
尚、主郭部北側の石垣下の犬走りの奥に出っ張っているのは横矢である。
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主郭部南側の石垣(主郭南西部から撮影)
山頂部に登り切ったところから撮ったもので、石垣が上手く撮れてない。奥の出っ張っているのは横矢である。
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こちらは、東端の櫓台脇から撮ったもので、奥には横矢が見える。
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横矢
主郭中央、南側と北側には石垣造りの横矢が掛かっている。往時は、これら横矢の上にも櫓が建てられていたことだろう。これは南側の横矢。
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櫓台
主郭東側には櫓台があり、石垣が修復復元されている。豊前との国境は、ここから1kmほど東にあり、この櫓台は隣国の侵入を監視する役目を担っていた。
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こちらは、櫓台の北東部外側から撮ったもので、写真右側が主郭内部になる。
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畝状竪堀(主郭北側斜面)
主郭北側斜面には畝状竪堀が13本造られているのがはっきり確認できる。畝状竪堀は、南側にも6本造られている。これら中世の山城に多い遺構は、黒田氏時代のものではなく、戦国時代(秋月氏時代)のものと思われる。
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堀切
主郭東側の尾根には3本の連続堀切が良好に残っている。これらも秋月氏時代の遺構であろう。
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