池ノ屋形跡推定地に鎮座する池神社
対馬島主・宗家14代将盛が築いた城、僅か2年で焼失し金石城に移る
別名
池ノ城、池館、今屋形、今屋敷
所在地
長崎県対馬市厳原町今屋敷769
形状
館
現状・遺構等
【現状】 宅地他
【遺構等】 説明板
満足度
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訪城日
2015/07/14
歴史等
大永6年(1526)、対馬島主・宗家14代宗将盛が池ノ地に池ノ屋形を築き、それまでの中村館から移った。
しかし、その2年後の享禄元年(1528)、家臣らの謀叛で焼失し金石に難を避け、やがて新しい屋形(金石城)を営んだ。
池という地名は、当時この辺りに大きな池があり、池の大明神(池神社)と称する祭祀所があり、その傍に屋形ができたので今屋形と称し、のちに今屋敷となった現在も字名として残っているのだという。
屋形があった場所は現在の池神社付近とみられるが、遺構として残っているものはない。ただ、現在の池神社の西側の邸宅(古藤氏)より出土した古瓦が、明らかに室町時代の布目瓦で池ノ屋形のものではないかとされている。
『「現地説明板」、「日本城郭大系17」、「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」参照』
現況・登城記・感想等
現在の池神社付近が池ノ屋形跡と推定されるそうで、神社の成り立ちと池ノ屋形に関する説明板が設置されているだけですが、室町時代の布目瓦が出土したという神社西の邸宅跡から池神社にかけての石垣が立派なのが目に立ちます。
(2015/07/14訪れて)
ギャラリー
池ノ屋形推定地
室町時代の布目瓦が出土したという神社西の邸宅跡(写真中央)から池神社(写真右奥)にかけての石垣が立派なのが目に立ちます。