日向 高城(木城町)

高城主郭跡に建つ模擬櫓

日向三高城の一つ、大友軍と豊臣軍による2度の攻撃でも落ちなかった堅城

読み方

たかじょう

所在地

宮崎県児湯郡木城町高城、城山公園
【アクセス】
木城町役場から北へ約700mの小山が城跡です。木城町役場の東側を走る県道312号を役場から400m程北上(正面上に模擬櫓が見えます)して左折し、県道19号に入ります。800m程西進すると大きく道が右カーブします。カーブが終わって100m程東進すると、今度は左折するような感じで曲がりますが、ここに右手へ入る道があるので、その右手の道へ入ります。そのまま道なりに東進すると、途中に古墳がある駐車場に出ますが、そこを更に東進すると城山公園に着きます。無料駐車場が完備されています。
木城町役場:木城町大字高城1227-1、電話0983-32-2211

所要時間

今回の見学時間は10分ほどでした。

形状

山城(標高60m)

現状・遺構等

【現状】 城山公園
【遺構等】 曲輪、堀切、土塁、模擬櫓、井戸、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2013/11/29

歴史等

高城は、南北朝時代初期の建武2年(1335)足利尊氏に属して功があり、尊氏から新納院を与えられた島津時久が築いた城で、時久は姓を「新納」と称した。しかし、上京中に富山国長に城を略奪された。
その後、新納土持氏の所管となったが、長禄元年(1457)、土持景綱が都於郡城主・伊東祐堯との「小浪川の合戦」で敗れてからは、伊東氏が領し、伊東氏48城の一つとなった。
しかし、元亀3年(1572)伊東義祐は「木崎原の合戦」で島津軍に大敗し、さらには天正5年(1577)にも島津氏に敗れ、義祐は大友宗麟を頼って豊後に落ちた。
そして、日向全土は島津氏のものとなり、高城には山田有信が地頭となって入城した。
翌天正6年(1578)大友宗麟は、島津氏を討って伊東氏を日向に帰すと号して、5万の大軍をもって高城を包囲した。しかし、山田有信は僅か500の兵でよく防いだ。これを聞いて、薩摩藩主島津義久は大兵を率い、両者は高城川(現小丸川)を挟んで対峙し、攻防戦が繰り広げられ、大友軍は大敗し敗走した(高城川の合戦)。
ついで、天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐の際には15万の大軍に包囲されたが落城しなかった。しかし、島津軍は敗れ、義久の説得により、有信は城を明け渡し都於郡へ去った。
その後、筑前秋月城主秋月種実に新納・福嶋・諸県3万石が与えられ、秋月氏の支城となった。しかし、元和元年(1615)一国一城令により廃城となった。
『「現地説明板」、「日本城郭大系16」、「歴史群像シリーズ⑫戦国九州軍記(学研刊)」ほか参照』

現況・登城記・感想等

高城は、大友軍や豊臣軍の大軍による、2度の攻撃でも落ちなかった城です。
特に、私は大友氏と島津氏が激突した「高城川の合戦」に興味があり、以前から、是非登城したいと思っていました。「高城川の合戦」は、まさに九州における雌雄を決する戦いで、大敗した大友氏は合戦以降、一挙に衰退していったわけです。
城跡を目指して木城町役場傍に来ると、正面の断崖絶壁の上に模擬櫓が見え、難攻不落の堅城であったのが分かり、大軍による攻撃で落城しなかったのも納得します。
高城は西から東へ突き出た舌状台地上に築かれ、北・東・南の三方は断崖絶壁で、西側だけが丘陵に続いているので、ここに二重堀切も含め、4筋の堀切を設けて断ち切って要害を固くしている。
それらの堀切は、良好に残り、それなりに見応えはあるものの、縄張りは単純で、規模も小さく、城址としての魅力は、城が持つ歴史ほどには感じませんでした。
(2013/11/29登城して)

ギャラリー

高城縄張図(現地説明板より)
高城は西から東へ突き出た舌状台地上に築かれ、北・東・南の三方は断崖絶壁で、西側だけが丘陵に続いているので、ここに二重堀切も含め、4筋の堀切を設けて断ち切って要害を固くしている。
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高城跡を望む
当写真は、高城南麓(木城町役場横)から模擬櫓を見上げたものです。正面の断崖絶壁の上に模擬櫓が見えるこの光景は、まさに難攻不落の城といった感じです。模擬櫓は、失礼ながらチャチなものですが、山麓から見上げる姿はなかなかいいものです。
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堀切に架かる橋
高城跡へは、西側へ大きく廻ってから尾根上の道路を東へ向かいますが、途中、二重堀切(写真奥に連続して橋が見えるのがそれです)も含め、4筋の堀切があり、橋が架けられています。
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堀切(竪堀)
4筋の堀切は、幅5m、深さ4mほどあり、勿論、全ての堀切は竪堀となって山裾へ落ちて行っています。
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片堀切? or 虎口?
主郭部の中央南側には片堀切がありますが、これは主郭南下の腰曲輪からの虎口でもあったのでしょうか?
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主郭
主郭の南側には模擬櫓が建てられています。
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櫓から見下ろす
櫓からは、木城町の町並み、その向こうには高城川(現小丸川)が見えます。大友軍や豊臣軍に囲まれた時には、眼下に大軍の兵が見え、恐怖感もあったことでしょうねえ。
尚、主郭南下には、段曲輪が設けられていたようですね。

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