巨大軍艦のような威容を誇る勝連城址全景
琉球王府に抵抗し、首里城を攻めたが大敗した阿麻和利が居城
所在地
沖縄県うるま市勝連南風原
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】世界遺産
【遺構等】石垣、郭、井戸、建物礎石、石碑、説明板など
満足度
★★★★★
訪城日
2002/11/25
歴史等
勝連城は代々勝連の按司(あじ)達の居城であったが、15世紀中期、琉球王府に抵抗し勢力をのばしていた阿麻和利(あまわり)が、当時居城していた茂知附按司(もちづきあじ)を暗殺し勝連按司となった後、勝連城へ居を移した。この城の南側にある港を拠点に海外との交易で繁栄し、勝連の人々からの信頼もあつかった。
1458年、阿麻和利は首里国王の忠臣・中城の護佐丸(ごさまる)を奸計をもって滅ぼし、その勢いで首里城を攻めたが大敗し、その後、城は廃城になったといわれている。
城跡は、一種の梯郭式山城で、一の郭・二の郭・三の郭・四の郭・東郭からなり、四方に琉球石灰岩の切石の石垣をめぐらしている。発掘調査の結果、一の郭に規模不明の瓦葺建物跡、二の郭に礎石を有する殿舎跡が確認されている。また、城内からは多量の輸入陶磁器をはじめ武器や武具、古銭などが出土し、なかでもすぐれた元様式の青花磁などから当時の繁栄ぶりをしのぶことができる。
『参考:「現地案内板」、「サイト沖縄インターネット放送局」』
現況・登城記・感想等
勝連城を目指して向かって運転していき、正面奥上に巨大軍艦のような威容を誇る勝連城が見えてきた時は本当に感激した。
城の麓に到着してからも、登城するのも忘れて、しばらくは四の郭跡から、その姿を眺め続けていた。
崖に直接石垣が組み立てられ、その崖も石垣もほぼ90度に近い急傾斜である。とてもここを登って攻めることは不可能であろう。
一の郭から眺める海は広々として、あくまでも青く、雲で見え隠れする幾筋もの光線が海洋を照らし、勝連城が南海にそびえ立った要害城であると共に、往時には海外との交易が盛んに行われ、繁栄していたのがよく分かる。
本当にロマンを感じさせてくれる素晴らしい城址であった。
(2002/11/25登城して)
ギャラリー
勝連城の威容が見えてきた
勝連城を目指して運転していくと、正面奥上に巨大軍艦のような石垣が見えてきた時は本当に感激した。
勝連城の全容
勝連城の麓(四ノ郭跡)に到着後も、しばらく威容を誇る姿に見惚れていた。