アルカサル(コルドバ)

オメナッヘの塔と城壁

コロンブスが新大陸発見の資金援助を仰ぐためにカトリック両王と謁見した城

スペイン語名

Alcázar de los Reyes Cristiano,Córdoba

所在地

アンダルシア州コルドバ県コルドバ

訪城日

2009/03/27

歴史等

【~古代ローマ時代】
グアダルキビル川流域の豊かな農耕地帯を周囲に控えるコルドバは太古の昔から人類が暮らしていたことが知られるが、この土地に最初の繁栄をもたらしたのは古代ローマ帝国であり、ローマ期を通じてイベリア半島の代表的都市の一つとして栄え、ローマ文化の中心地であった。
【西ゴート王国の時代】
しかし、4世紀に入るとローマ帝国コルドバの凋落が始まり、572年には西ゴート王レオビヒルドによって街はついに征服され、711年イスラム教徒の来襲によって終止符が打たれるまで動乱の西ゴート時代が続いた。
【イスラムの時代】
コルドバがその歴史の中で最も繁栄し、広く知られるようになるのはイスラム期に入ってからである。711年にイベリア半島に侵攻したイスラム教徒は、軍事征服が一段落すると、アル・アンダルスと命名したこの新しい領国の首都にコルドバを選んだ。
そして、756年にはダマスカスを追われたウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン(アブデルラーマン)1世が亡命政権を立てたことから、西方イスラム世界の首都となった。
後ウマイヤ朝期(756~1031)はアル・アンダルスの最盛期であり、コルドバは西ヨーロッパ随一の規模に発展し10世紀には、その周囲の城壁は全長12km、人口は50万とも100万ともいわれる。
【混乱の時代】
しかし繁栄した王国も、1031年には終焉を迎え、1091年のアルモラビデ族侵入までの間、コルドバは小さなタイファ王国の首都となっていたが、1148年に北アフリカの別部族アルモアデ族の侵攻でコルドバは潰えた。
【レコンキスタ~統一】
1236年のカスティーリャ王フェルナンド3世による征服後、一地方都市に低落したコルドバは、次第に繁栄の道からはずれていき、人口も16世紀初めには3万3千に落ち込んだ。
コルドバのアルカサル(王宮)は、アルフォンソ11世”正義王”によってカリフの宮殿があった場所の一部に、1328年から建築が始められ、その後さらに新しい空間(ex.庭園、噴水、池)が増築されていった。
15世紀末には、イスラム勢力最後の砦グラナダ(アルハンブラ宮殿)を攻略する拠点となった。
また、コロンブスは新大陸発見の資金援助を仰ぐためにこの城でカトリック両王と謁見した。
1492年までは、カトリック両王の宮殿として使われていたが、この年にグラナダ攻略が完了してからは異端審問の宗教裁判所に明け渡された。
『「コルドバ・Luis Alverez Moreno y Salvador Elias Carabano著(Gasmath,S.L.刊)」、「図説・スペインの歴史・川成洋著(河出書房新社刊)」、「地球の歩き方・スペイン(ダイヤモンド社刊)」より』

現況・登城記・感想等

観光コースに入っていないので、朝食前の時間を利用して登城した。旧市街やユダヤ人街の迷路のような細い道を、グアダルキビル川方面へと、兎に角、南へ南へと歩いた。アル・アンダルスの首都であっただけに中世の面影が残る街の朝の散策は、出勤へと向かう人達とも出会ったりして異国情緒を何となく味わえたような気がする。
アルカサルへは朝早いので当然入れなかったが、工事中でもあり、城壁を南北両側から見ただけで帰ってくることとなった。
城の西側にはアラブ式の素晴らしい庭園もあるが、時間の関係もあり残念ながらパス。庭園の西側には、立派な濠と城壁が残っていた。
コルドバは、ローマ時代やイスラムの時代には城壁に囲まれた城塞都市であったようだが、それらの城壁は後続の文明によって、略奪と改造が加えられ、かなり消滅しているようで、「城フェチ」の私にとっても、この街の見所は、イスラム教とキリスト教が共存する大聖堂「メスキータ」とその北西に広がる「ユダヤ人街」の2つのようだ。
(2009/03/27登城して)

ギャラリー

オメナッヘの搭と城壁(城内側から)
アルカサルの4隅には見張りの搭(うち3つはオリジナル、1つは再建)が備わっている。オメナッヘの塔は、北東角に位置する主搭で、平面図は8角形である。
DSC06887

オメナッヘの塔と城壁(城外側から)
DSC06899

レオン(ライオン)の塔
北西角に位置する4角形の搭で、おそらく最も古いものと思われる。
DSC06886

城壁前の紳士のオブジェ
城壁前に、傘をさした紳士のオブジェが・・・。オシャレ~!!
DSC06890

濠と城壁
まだ朝早いのと時間が押し詰まっておたので庭園内散策は諦めたが、庭園の西側には見応えのある濠と城壁が残っていた。
DSC06979

勝利のアーチ(Arco del Triunfo)
DSC06906

ローマ橋(Puente Romano)
グアダルキビル川に、勝利のアーチの前から橋が架かっています。ローマ橋です。こんな立派な橋が紀元前1世紀の古代ローマ時代にあったとはねえ。スゴイ!橋の遠く向こうに見えるのはカラオーラの搭(Torre de la Calahorra)です。
DSC06905

馬車が!
グアダルキビル川沿いの道が工事中で1車線塞がれていた。通勤時間帯だというのに、そこを馬車が悠々と走っていた。当然、後ろは車でつかえていたが・・・!?
DSC06902


【ユダヤ人街&メスキータ】
コルドバは、ローマ時代やイスラムの時代には城壁に囲まれた城塞都市であったようだが、それらの城壁は後続の文明によって、略奪と改造が加えられ、かなり消滅しているようで、イスラム教とキリスト教が共存する大聖堂「メスキータ」とその北西に広がる「ユダヤ人街」の2つがこの街の見所のようだ。

(ユダヤ人街を囲っていた城壁)
DSC06916

(ユダヤ人街)
迷路のような細い道の両側にオシャレな建物やお店やパティオを見ながらの散策は結構楽しいものだ。
DSC06927 DSC06933

DSC06920 DSC06926

(メスキータ)
コルドバのメスキータは、スペインに現存する唯一のアルジャミーのモスク(メスキータ)であり、西洋で最も重要なイスラム・モニュメントであることは勿論、世界でも最大級のモスクの一つである。
DSC06940 DSC06936

(メスキータ内部)
メスキータ内部の写真撮影もOKだ。見応えのある見事なものばかりで、何枚写真を撮ったことやら・・・(苦笑)。
DSC06942

DSC06960

DSC06945 DSC06963

DSC06952 DSC06957

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント