修復復元されたヴィリニュスの円形城塞
リトアニア大公国、ポーランド・リトアニア共和国時代の城塞都市
リトアニア語名
Vilnius
所在地
Vilnius, Lietuvos
形状
城塞都市
訪城日
2015/06/21
歴史等
ヴィリニュスの歴史は、リトアニア大公国の王であったミンダウカスの居城が造られた13世紀にまで遡ります。
その後、ゲディミナス大公が13世紀から14世紀初頭にかけて丘の上に城(ゲディミナス城)を築き、トラカイからヴィリニュスに遷都しました。城は、遅くとも1323年までには完成したようです。
しかし、ゲディミナスの子アルギルダスの死後、大公の座をめぐって紛争が起こり、ポーランド・リトアニア共和国が誕生したが、ヴィリニュスはリトアニア側の首都(ポーランド側はクラフフ)として繁栄が続き、16世紀に入ると城壁も整備されました。
しかし、17世紀を迎えるとポーランド・リトアニア共和国は衰退が始まり、ロシア・ポーランド戦争(1605~18)では、ヴィリニュスはロシア帝国およびザクセン公国軍に占領され放火・略奪・大虐殺の甚大な被害を受けた上、1710年のペストの大流行や度重なる大火で、市は18世紀を通して衰退を極めました。
さらに、プロイセン王国、ロシア帝国、オーストリア大公国の三列強により、ポーランド・リトアニア共和国は3度にわたって分割されました。
1795年の第3次分割では、ヴィリニュスはロシア帝国に編入され、ロシア帝政下でヴィリニュスの城壁は破壊されました。
20世紀以降も、町は何度も権力者の手から手へと渡り支配され続けてきました。
その後、ドイツ占領下での1920年の独立宣言、その後のポーランドの再併合、ソ連による併合を経て、1990年にようやく独立を果たしました。
独立にあたっては、流血の事件「血の日曜日」が発生しました。大きなデモを解散するため、ゴルバチョフは戦車の使用を命じ、テレビ塔の周辺で14人のリトアニア人が射殺されたまたは戦車に轢かれたのでした。
独立後、旧市街は修復されて、1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。
『「現地購入誌・ヴィリニュス&トラカイ」、「ウィキペディア ヴィリニュス」、「DTACリトアニア観光情報局」他参照』
【ヴィリニュス創設の伝説】
ある日、ゲディミナス大公は、当時の都であった「トラカイ」からヴィリニャ川とネリス川に挟まれた谷へ狩にやってきた。しかし、オーロックス(牛の一種)を追いかけている途中、森の中で迷ってしまい、疲れた大公は丘(現在のケディミナスの丘)の麓で眠ってしまった。
その夜、彼は不思議な夢を見た。それは丘の上に立ち、大きく吠える鉄の鎧を着けたオオカミの夢だった。祭司のリズデイカはその夢を神の信託と判断し、喜んだ大公はその丘に城を築き、その地を新都とし、ヴィリニャ川にちなんでヴィリニュスと名付けた。人々の間で語り継がれてきたヴィリニュス創設の伝説である。
『「現地購入誌・ヴィリニュス&トラカイ」、「「地球の歩き方・バルトの国々15’16’」他参照』
現況・登城記・感想等
ヴィリニュスは、かつては旧市街の周囲を城壁が取り囲む城塞都市でした。
しかし、今では、その面影は旧市街南端の「夜明けの門」、そこから北東へ延びる城壁の一部、そして復元が完成した「円形城塞」が残る程度です。
とはいえ、美しい「夜明けの門」と修復された「円形城塞」は見応えがあります。中でも、「円形城塞」の半円形を描く城塁と、その周囲をめぐる大規模な濠は見応え満点でいろんな角度から何枚も写真を撮ってしまいました。
ただ、残念ながら、到着したのが夕方で、入城できなかったのが残念です。
尚、ヴィリニュス旧市街の面積は欧州内でも最大級で(東欧最大)、歴史的・文化的事物が集積され、迷路のように入組んだ街にはゴシック、ルネッサンス、そしてバロック様式の建造物が多く残され見どころいっぱいです。
(2015/06/21訪れて)
ギャラリー
ヴィリニュス旧市街MAP(現地購入誌より) ~画面をクリックにて拡大~
ヴィリニュスは、かつては旧市街の周囲を城壁が取り囲む城塞都市でした。茶色の太いラインが現在も残る城壁で点線で示されているのがかつての城壁です。
夜明けの門と城壁(城外側から)
夜明けの門は、1503年から1522年の間に建てられた城壁にあった5つの門のうち、現存する唯一の門です。初めはメディニンカイ (Medininkai) 城へ続く道への門だったため、 メディニンカイ門と呼ばれていました。門の東側には城壁が残っています。
夜明けの門(城内側)
夜明けの門には、16世紀、攻撃から街を守り旅行者を祝福することを目的に、宗教的なモニュメントが門の内部に作られることとなりました。門の中の教会の聖母マリアの肖像は、17世紀に描かれたもので、奇跡を起こすと言われ、数世紀にわたって町のシンボルの1つであり続け、カトリック教徒と正教徒の双方から崇敬されてきました。神への贈り物が数千個壁に飾られており、海外からも多くの巡礼者が祈りに来ます。
夜明けの門通りから
夜明けの門通りを北(写真手前)へ進むと、ヴィリウスのメインストリートのピリエス通りへ続き、リトアニア大公宮殿や大聖堂のあるカテドゥロス広場へ出ます。
夜明けの門から延びる城壁
ヴィリニュス旧市街を取り囲んでいた城壁は、今ではほとんどが破壊されていますが、夜明けの門から北東へ延びる城壁は200mほど残っています。尤も、夜明けの門の近くは、修復が進んでいるのか綺麗ですが、城壁に沿って北の方へ向かって歩いて行くにつれ、傷みが目立ちます。
崩れかけの城壁(背後は聖霊教会)
夜明けの門から、城壁に沿って100mほど進むと、城壁の傷みはひどく、崩れかけています。
修復中の城壁
さらに50~60mほど進むと、城壁が修復中でした。幕の中を覗いてみたら、城壁の前には狭くて浅いながらも、濠跡のようでした。
円形城塞と城壁
修復中の城壁の向こう(北)には、修復済みの城壁が建ち、その前に円形城塞が見えてきます。城壁は、あまり分厚くありません。
修復済みの城壁
円形城塞背後の城壁は、石積みの土台の上に赤レンガで築かれています。
円形城塞
円形城塞は、軍の技師フリードリッヒ・ゲットカントが17世紀前半に設計したもので、1655年~1661年の北方戦争で破壊されてしまいました。
現在、修復・復元が完了し、博物館となり防御設備や武器に関する展示が行われているそうですが、到着したのは夕方6時過ぎで閉館のため入城できませんでした(;>_<;)。
円形城塞周囲の濠
円形城塞の周囲には大規模な濠がめぐり、見応えがあります。何はともあれ、城塞の正面へ廻って眺めることにしました。
円形城塞正面
半円形を描く城塁と周囲をめぐる大規模な濠のコラボが何ともかっこいいです。見応え満点ですね。
円形城塞の南側半分
どの角度から、どの部分を見てもかっこいいです。ついつい写真を撮りまくってしまいました(苦笑)。
円形城塞の北側を
城塞の北側は急崖になっていて、北方面の防御は相当堅いですね。
【リヴィニュスの見どころ(除城郭)】
ヴィリニュスには旧市街のみならず、新市街や近郊にも見どころが多くて、1日かけても廻り切れないでしょう。おまけに、街は迷路のように入り組んでいて、私は、散々道に迷ってしまいました( ̄ー ̄;。
【旧市街】
ヴィリニュス旧市街の面積は欧州内でも最大級(東欧最大)で、歴史的・文化的事物が集積され、ゴシック、ルネッサンス、そしてバロック様式の建造物が多く残され見どころいっぱいです。
ヴィリニュス大聖堂
ヴィリニュス大聖堂はヴィリニュスのシンボルともされる主教座教会で、1251年、十字軍の弾圧から逃れるため、ミンダウガス大公がキリスト教を受け入れて最初に建造した教会です。もともとこの場所には雷(ペルクーナス)を祀る神殿があったといわれています。建物は18世紀に大改築が行われ、現在見られる姿となりました。正面の屋根にある聖スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエルの3聖人の像は、旧ソ連時代には撤去されていましたが、1996年に再設置されました。
ピリエス通り
ピリエス通りはヴィリニュス最古の通りで、旧市街を南北に縦断するメインストリートです。通りのすぐ北側には、大聖堂やリトアニア大公宮殿のあるカテドゥロス広場があり、通りを南へ向かうとディジョイ通り、夜明けの門通りを通り夜明けの門へ出ます。これらの通り沿いには旧市街で最も興味深いモニュメントが集中しています。また、土産物屋さんや露天、カフェ、商店などが軒を連ねているので、覗きながら散策するのも楽しいでしょう。
ピリエス通り12番地の家
1514年に建てられたゴシック様式の建物で、当時は2軒に分かれていたそうです。かつて、この建物は、金細工職人、医者、薬剤師、聖堂参事会の所有だったそうです。
聖ヨハネ教会の鐘楼
ピリエス通り沿いにある可愛らしいロシア正教会
ピリエス通りを南へ向かって歩いて行ったら、左手(東)に可愛らしいロシア教会を発見。バザーが開かれているのか、多くの人で賑わっていました。
ドミニコ教会
ドミニコ教会は、ヴィリニュスで最も古く、成熟した後期バロックの時代の最も贅沢に装飾された教会の一つです。キリスト教への改宗前のゲディミナス大公の時代に、既にこの場所には小さな教会が建っていたと考えられています。
聖キャサリン教会
道に迷った結果、見付けた教会です(苦笑)。建物はロココ様式の装飾とバロック様式です。
聖アンナ教会
旧市街の東側にあるこの教会は、15世紀末に建造されたゴシックの秀作といわれている建造物です。フランボワイアン式の華やかなファサードを持つ、この赤レンガ造りの教会は、その美しさからナポレオンが持ち帰りたがったという逸話も残されているそうです。
【新市街&ヴィリニュス近郊】
聖ペテロ・パウロ教会
旧市街の外れにあるこの教会は、ロシアからの解放を記念して17世紀後半に建造された、ヴィリニュスを代表するバロック様式の建築物です。
聖ペテロ・パウロ教会内部
外装に7年、内装には30年も費やされたという美しい教会で、教会内部を飾る白一色の2千以上もの漆喰彫刻群は本当に見事で、教会にはあまり興味のない私でさえ圧倒されましたw(*゚o゚*)w。
ロシア正教会
これまた、道に迷って新市街まで行ってしまい見付けた教会です( ̄ー ̄;。日本大使館の近くです。本来、たまねぎの形をした屋根は緑色のようですが、修築中のようでした。リトアニア人の宗派別人口割合で、ロシア正教は5%未満ですが、ヴィリニュス旧市街にはロシア正教の教会が結構あるようです。
杉原千畝記念碑
ネリス川沿い(北側)に杉原千畝桜公園があり、早稲田大学により杉原千畝記念碑が建立され、桜の木が植えられています。
広島の被爆敷石
杉原千畝記念碑の近くには、「ひろしま・祈りの石の会」により、「広島被爆敷石」が置かれています。広島に原爆が落とされた際の市内電車の線路の敷石だそうです。