パーキング脇の草むらに立つ文字が消えかけた木碑
別名
折戸浜砲台
松前の前線基地として旧幕府榎本軍が構築した台場
所在地
北海道松前郡松前町建石
【アクセス】
国道228号沿いの松前消防署を右手に見て、50m程北上すると左側にパーキングがある。この付近が砲台跡で、ほとんど消えてしまっている木碑が薮の中に立っている。
松前消防署:松前町建石216-1、電話0139-42-2119
形状
台場
現状・遺構等
【現状】 野原
【遺構等】 木碑
満足度
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訪城日
2012/07/31
歴史等
旧幕府榎本軍は、明治元年(1868)10月20日より蝦夷地(森町鷲ノ木町)へ上陸を始め、21日に内陸部の本道を五稜郭へと向かった。
そして、23日の峠下の戦い(北斗市、旧七飯町)をはじめとして大勝し、10月26日には五稜郭に入城を果たし、箱館府と新政府軍は一旦青森へ退いた。
更に、旧幕府榎本軍は、11月11日には松前城も攻略し、松前藩主・松前徳広が避難した館城も11月15日には攻略した。
しかし、翌明治2年4月6日、新政府軍の先発隊1,800名が青森港を出航し、9日乙部(現乙部町)に上陸、その後さらに追加の兵が上陸、ここから反撃を開始する。
そして、4月17日午前9時30分には新政府軍の艦隊が松前沖に結集、正午まで折戸台場や松前城に向けての艦砲射撃が浴びせられた。陸兵が松前に接近してきた午後4時より砲撃を再開、4時30分には陸戦が展開される。台場を守る松岡四郎次郎は兵を散開させて戦ったが、持ちこたえられず退却を命じ、松前城も包囲され、城内の兵も吉岡方面へと敗走した。
この折戸台場の戦いが旧幕府榎本軍に決定的な打撃を与え、新政府軍にその後の勝利を導いた。
『箱館戦争写真集・菊地明、横田淳著(新人物往来社刊)参照』
現況・登城記・感想等
パーキングの脇も草むらの中にほとんど消えてしまった木碑が立っている。
木碑の向こうの高くなった辺りが台場跡なのだろうが、藪がひどくて、入って行けるような状態ではない。
(2012/07/31訪れて)
ギャラリー
パーキング脇の草むらの中に立つ木碑
ほとんど消えてしまっている「折戸浜砲台」と書かれた木碑
よ~く見ると、「折戸浜砲台」となぞることができるが、新たに建て直すとか何とかならないものでしょうか?