旧八戸城東門を背に本丸跡に建つ主殿(写真中央奥)方面を望む
奥州における南朝方の中心・南部師行が築城、今も広大な史跡が残る
所在地
青森県八戸市根城
形状
平城
現状・遺構等
現状:史跡根城広場、畑、宅地他
遺構等:本丸跡(主殿と呼ばれる当主が儀式を執り行った建物を中心に工房・板蔵・納屋・馬屋等が復元?)、旧八戸城東門、中館・東善寺館・
岡前館・沢里館の郭跡、堀、土塁、石碑、説明板
【国指定史跡】
指定日:昭和16年12月13日
指定理由:南北朝時代から戦国時代にかけての城郭。郭郭・堀・土塁などの遺存状況が良好で、根城南部氏の居城としての歴史も明らかである。
面積:21万2,795㎡
満足度
★★★☆☆
訪城日
2002/03/25
歴史等
甲斐源氏の一族であった南部氏は源頼朝の奥州征伐の戦功により陸奥国額部郡地頭職に補任された南部光行を始祖とするとされる。
その後裔・南部師行は、建武新政下、陸奥北畠顕家から北奥州の奉行に推挙され、額部郡八戸根城を拠点とするにいたった。
『以下、案内板より』
根城は、建武元年(1334)南部師行により築城されたと伝えられています。根城の南部氏は、
南北朝時代には奥州における南朝方の中心的な存在として活躍しており、その領地は、当時糠部郡と呼ばれた広大な地域の中や津軽、
秋田県の比内・仙北・鹿角・岩手県の閉伊・遠野にも認められています。しかし、南朝方が劣勢になるに従い、
根城の南部氏も次第に勢力が弱まり、寛永4年(1627)には岩手県の遠野へ移封となりました。
この城跡は、昭和16年12月13日に国史跡に指定されています。現在、根城には、本丸・中館・岡前館・東善寺・
沢里館等の郭や多くの堀が良好に残っており、このうち、本丸については、発掘で発見された建物跡を基に立体復原も行われています。
現況・登城記・感想
市街地から歩いて行ったがかなり遠かった。
根城は馬淵川右岸の段丘上に築かれた城で、本丸・中館・東善寺・岡前舘・
沢里館の5つの館(郭)から構成されていた。
南北朝時代の史跡というのにその規模の大きさというか広さにびっくり。何と史跡の広さが21ヘクタールもあるとのことである。
そして今尚、空堀、曲輪跡等の遺構が良好に残っていて感激した。
復元した本丸跡の建物群が当日休館で入れなかったのは、遠くてなかなか来れる所ではないし、本当に残念だった。
(2002/03/25登城して)
ギャラリー
案内図(現地説明板より)
本丸跡
主殿と呼ばれる当主が儀式を執り行った建物を中心に工房・板蔵・納屋・馬屋等が復元。
本丸と中館の間の堀跡

南部師行の像
旧八戸城東門
(八戸市有形文化財)
八戸城の東門で、安政6年(1857)の大風のため倒れ、家臣の木幡氏の門として建て替えられた。伝承によると、
もともと根城にあった門を八戸城に移したと言われている。
