岩代 大森城(福島市)

本丸南側の空堀と石橋

伊達氏居城後、木村吉清が杉妻城へ移城。その後上杉氏城代居城後、幕府に没収

別名

臥牛城、白鳥城

所在地

福島県福島市大森字本丸82ほか
【アクセス】
ナビがあれば大森城山公園で一発で行けると思います。

所要時間

今回の見学時間は山頂部だけでしたが約40分でした。

形状

山城(標高143m、比60m)
車で山頂部まで行けます。

現状・遺構等

【現状】 大森城山公園
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、模擬物見櫓、石碑、説明板

訪城日

2018/10/14

満足度

★★☆☆☆

歴史等

大森城が歴史に登場するのは天文年間(1532~1554)伊達氏の稙宗の時代からで、初代伊達実元、成実、片倉小十郎景綱まで50年余り伊達氏が支配しました。
豊臣秀吉の奥州仕置きにより、蒲生氏郷の支配となり客将の木村吉清が5万石を与えられて大森城主となりましたが、文禄元年~2年(1592~93)頃に杉妻城(福島城と名称変更)に移るとともに、麓の町家・寺院も移したため、信夫の府城であった大森城の面影は失われてしまいました。
慶長3年(1598)1月に上杉氏が会津若松城へ入り、栗田氏を大森城代に配置したので大森城が復活、そのあと芋川氏が城代となり初代芋川正親・元親・綱親・高親の上杉時代は約65年ほど続きました。 しかし、寛文4年(1664)米沢藩主上杉綱勝が急死、上杉領は半減し大森地方は幕府に没収され幕府領となり、芋川氏も米沢家老として移り、大森城は廃城となりました。
尚、伊達氏が支配する以前の南北両党の争乱の頃は大森城には佐藤十郎兵衛という武将がいたともいわれ、さらにさかのぼった鎌倉時代の年紀銘の板碑が周囲に多く残っていて、館とともに密教系の寺院の存在を伝えています。
『現地説明板等より』

現況・登城記・感想等

大森城は、福島市の中心から数kmほど南西の大森地区の城山に築かれています。この城山は、大森地区のどこからも目立つ比高60mほどの南北に長い独立丘で、東西側面が急斜面になった築城するのには絶好の立地の山です。
現在は、大森城山公園として整備され過ぎていて、遺構はちょっと微妙な感じです。
縄張りは、大雑把にいうなら、大森城は、ほぼ南北に細長い連郭式山城で、山頂部に東西約70m、南北約100mほどと山城としてはかなりの広さの2段の本丸を置き、その南北に幾つもの郭を配しています。
曲輪以外には、あまり遺構は残ってはいませんが、本丸の南側から南東部にかけて空堀が良好に残っています。
また、二の丸の北端近くには模擬物見櫓風の展望台が築かれ、そこからの眺望は素晴らしく、福島市街や福島市のシンボルである信夫山などがよく見えます。
(2018/10/14登城して)

ギャラリー

大森城縄張略図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
大森城は、ほぼ南北に細長い連郭式山城で、山頂部に東西約70m、南北約100mほどと山城としてはかなりの広さの2段の本丸を置き、その南北に幾つもの郭を配しています。
大森城縄張略図

公園南端部の駐車場
大森城跡(大森城山公園)は、城山の北西部山麓にある信夫公民館の裏から、大手口の登城道があるようですが、今回は山頂部まで車で登って行きました。山頂には、お花見用なのでしょうか、公園南端部に広~い駐車場があり、そこに大森城の簡単な縄張図付きの公園案内板が立っています。尚、公園化の際に、あまりにも綺麗に整備され過ぎているため、この平坦地が当時の曲輪跡かどうかは分かりません。
駐車場

出丸(南館)
車を駐車場に停めて、本丸へ向かって、まずは出丸(南館)を歩いて北進します。ただ、この南館ですが、出丸というにはかなり広く、さらにはその北側の広場との境目もよく分かりませんでした。
南館

本丸南側を断ち切る堀切
南館(出丸)から広場を通り北進すると、正面に一段高くなった本丸が見え、その手前を堀切で断ち切られています。堀切はかなり埋まってしまっているようですが、それでも堀底から本丸上(写真左側)までの高さは4~5mほどあります。尚、堀切に架けられた石橋は、当然、公園化の際に造られたものでしょう。
堀切

本丸南から南東部にかけての空堀
本丸南側の堀切は、本丸南東部だけ空堀で囲むようになっていますが、往時はもうすこし先まで掘られていたのでしょう。
空堀

本丸
堀切に架かる橋を渡ると本丸へ出ます。本丸は、山城としてはかなり広く、東西約70m、南北約100mほどあります。
本丸1

また、本丸は2段になっており、高い段の方には城址碑や説明板が立てられています。
本丸3

本丸北側の腰曲輪
本丸の北側には腰曲輪らしき平坦地があります。当写真はその北側下の二の丸跡から撮ったもので、最上段が本丸で、その下の段の上が腰曲輪です。
二の丸から本丸を

二の丸
本丸北側の腰曲輪の北側には二の丸があり、北端部には子供公園になっているようで、多くの遊具が設置されています。当写真は腰曲輪から撮ったものです。
二の丸

二の丸は、ほとんど自然地形のままです。当写真は二の丸北端部から本丸方面を撮ったものです。
二の丸3

側面
二の丸の側面は、ほとんど整備されていませんが、帯曲輪跡らしき平坦地があり、その向こうは急崖になっています。このことからも、この城山の東西側面が急崖になっていて、城を築くには絶好の立地条件にあるのがわかります。
IMG_1138

模擬物見櫓風展望台
二の丸の北端には模擬物見櫓風の展望台が築かれています。
模擬櫓

模擬物見櫓手前の堀切?
物見櫓風展望台の手前に堀切が掘られていますが、当時の遺構ではないでしょう。
模擬櫓空堀

展望台からの眺望
展望台からの眺望は素晴らしく、福島市街や福島市のシンボルである信夫山(写真左奥)などがよく見えます。
眺望

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント