窮鼠(里見氏)、猫(後北条氏)を噛む
別名
三船台城
所在地
千葉県君津市上湯江(君津市三舟の里案内所の裏山)
君津市三舟の里案内所:君津市小香359-1、電話0439-54-8988
形状
陣城
現状・遺構等
現状:山林(公園)
遺構等:標柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/09/11
歴史等
永禄7年(1564)の第二次国府台合戦の勝利により、後北条氏は上総での主導権を握り、敗れた里見氏は衰退していった。一時は、
本拠の久留里城、
佐貫城も北条氏に占領され、
また勝浦正木氏、万木土岐氏などの離反により苦しい立場に立たされた。
永禄10年(1567)後北条氏は、西上総を支配すべく、里見氏と三舟山付近を舞台に合戦を行った。
後北条氏側は北条氏政が合戦の指揮をとり、武蔵岩付城の城主太田氏資らをこの地にむけ現在のマテバシイの林一帯の小字
「陳場」、「陳所」の地に陣をかまえ、里見氏側は三舟山と対峙する富津市障子谷の「虚空蔵山」、同市相野谷の「八幡の森」
に陣を敷いたといわれている。
合戦は、太田氏資らが戦死し、後北条氏側が敗北し、元亀年間の終わりごろまで里見氏が勢力を挽回する契機となったといわれている。
『「現地説明板」、「歴史群像シリーズ⑭真説戦国北条五代(学研刊)」より』
現況・登城記・感想等
富津市吉野地区と君津市貞元地区の境界にある標高138mの山が三舟山である。
山麓には「君津市三舟の里案内所」があり、そのすぐ脇から登城する。綺麗に整備された遊歩道(三舟山アメニティロード
「オオシマザクラの小径」)を登ること約15分ほどで、山頂部の「三舟山陣跡」の碑の所に着く。
この陣跡、やたらと広い。これなら何万人でも収容できそうだ。何しろ、この碑の所から山頂部最東端部に建つ展望台の所まで、
平場をゆっくり歩くと15分近く掛かるほどだ。
ただ、こんなに広い陣跡であるが、土塁や空堀等遺構らしきものは全く見掛けなかった。
また、眺望も西(海)側は鬱蒼と生えた木々に遮られて全く見えなかった。
まあ、ここに後北条軍の陣地が置かれたという歴史に想いを馳せながら、気持ちよく整備された散策コースを歩いたということで良しとするか!
(2008/09/11登城して)
ギャラリー
登城口
三舟山アメニティロードとして、整備されているだけあって、実に気持ちよく歩いて行ける。桜の季節に来たら、
さぞや綺麗なことだろう。陣跡へは「オオシマザクラの小径」を行くが、「ソメイヨシノの小径」でも行くことが出来る。
「三舟山陣跡」の碑と説明板
登り始めて、15分ほどで山頂部の平場に設置された「三舟山陣跡」の碑と説明板の所に着く。
だだっ広い陣跡
陣跡の平場は、やたらと広い。これなら何万人でも収容できそうだ。
陣跡からの北東方面の眺望
眺望も西(海)側は鬱蒼と生えた木々に遮られて全く見えなかった。おまけに天気が今一つ。
塚
陣跡には、土塁や空堀等遺構らしきものは全く見掛けなかった。ただ、「塚」
のようなものが3箇所ほどあり気になった。白い標柱があったので、見ると2003年度の小学校卒業生の記念植樹とあったが、
たった5年でこんなドデカクなる訳がない!!また、土盛は何の為??
展望台
山頂部の平場はやたらと広く、陣跡の碑の所から山頂平坦部最東端に建つこの展望台まで、
ゆっくり歩くと15分近く掛かるほどだった。
展望台から東方面を
右に見える建物が三舟の里案内所。正面の山の左端頂上部が陣跡の碑があった場所。登り始めて、
グルッと廻ってきたわけだ。折角の展望台も天気が悪いとこんなもの!