南側土塁上から郭内を
歴史不明、在地領主吉岡氏一族の城址?
所在地
千葉県四街道市吉岡1386
【行き方】
福星寺館の南南西約700m。
国道51号線(佐倉街道)の吉岡十字路を南東へ400~500m進むと、右手に下写真案内板がある(木出城の文字が裏側にはあるが、
東側は消えているので注意)。
㊧吉岡十字路から来た場合、㊨福星館の方から来た場合
この案内板のところの路地を右(南)へ入り、400mほど南下すると正面やや右手に比高10mほどの森が見える。この森が城址である。
(木出城址全景)
駐車場はないので、私は福星寺前の空地に停めて歩いていった。登城口は、南西部にあり、個人宅の敷地を通り虎口から登城するので、 許可を得てから入るのが良いだろう。また、南部の空堀(強烈な藪)から入って行くことも出来る。
形状
平山城
現状・遺構等
現状:森林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、虎口、池、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2009/10/24
歴史等
木出(きで)城の歴史は、他の吉岡地区にある福星寺館・
中山城などと同様、
分かっていないという。
16世紀後半の吉岡地区は、原氏の生実城と臼井城を結ぶ重要な位置にあったと見られる。
恐らく、福星寺館と共に、
16世紀代に原氏の権力体系に取り込まれたであろう在地領主吉岡氏一族が築いたものであろう。
両城主の関係は、或いは同一氏族内の有力二派であろうか。
『図説房総の城郭・千葉城郭研究会編(国書刊行会刊)」より』
現況・登城記・感想等
木出(きで)城は、想定していたよりも遥かに大規模な城址であった。しかも、
広い郭周囲を取り囲む大規模な土塁と空堀がほぼ完存する見応え充分な城址であった。
但し、ほとんど整備はされておらず、中でも空堀は、何処からどうやって入って行けば良いのか全く分からないほどの強烈な藪だった。
私は南東部から入り、堀底道を、ほぼ全周廻ったが、密集する竹や枯れて倒れた竹に悪戦苦闘、更には蜘蛛の巣が何度も顔面に張り付いて参った
(汗)!
しかし、その大規模な空堀や土塁は、そんな苦労も忘れさせてくれるほど素晴らしかった。
堀底から郭側土塁上までの高さは約5m、高い所では7m以上もあり、空堀外側土塁上までも2m以上ある。ただ、
藪がひどくて写真に撮ると分かり辛いのが残念だ。
また、郭は非常に広く(約80m平方)、南西部の土塁上に祀られた祠のところから見る高い土塁に囲まれた郭の様子がかっこよい。土塁は、
郭内からの高さが約3m、高い所では6mほどある感じだ。郭は各機能別の建物区画に分かれていたのであろうか、
平坦ではなく南東部一帯は特に低くなっている。
見応えのある城址であったが、これほどひどい藪の中に突入したのも久し振りだ(汗)。
(2009/10/24登城して)
ギャラリー
城址入口
㊧森の南側へ廻ると、この説明板のところへ出る。写真奥の家の手前を右へ曲がり、
個人宅敷地を通って郭虎口から登城できるが、㊨私は手前を右へ進み、強烈な藪になった空堀の中へ突入した。
㊧南東の土塁、㊨池
㊧藪の中へ突入すると、左側にいきなり高い土塁が見える。郭南東部の土塁で、
この土塁は郭内からでも高さ6m近くある。㊨土塁の下には池があったが、往時から水が湧き出ていたのだろう。
藪の中へ突入~!
池の脇を奥へ入って行くと、藪が強烈で分かり辛いが、
両側が土塁になり空堀の底を進んでいるのが分かってきた。それにしても、何処をどうやって突き進んだらいいのか困るほどの藪だ~!
南東部の空堀①
藪の中を悪戦苦闘しながら2~30mほど進むと、多少緩和?され、折のある空堀底へと出た。
南東部の空堀②
さらに進むと右(外)側の土塁上まで登れそうな感じに・・・。
㊧東角部の空堀と、㊨土塁
さらに入って行くと、またまた藪がひどくなってきたが、右(外)側の土塁上に登れそうだったので、
土塁上へと・・・。㊧は土塁上から東角部の空堀を撮ったものだが、藪がひどく写真にするとよく分からないね!?
㊨は東角部手前の土塁を撮ったもの。土塁の高さは、堀底から約2m、幅も約2mである。
北東部の空堀
東角部から、しばらく藪を進むと、竹が少なくなり歩きやすくなる。この辺りは郭側の土塁も、
それほど高くなく、堀底から4~5mほどである。
北角部の空堀
この辺りが、半島状台地の先端になる。今は藪に覆われ見通しが悪いが、往時は、
この辺りから福星寺館や中山城がよく見えたことだろう。右(外)側土塁の幅は、ほとんどが2mほどであるが、この角部はかなり広く、
建物が建てられそうなほどだ。
搦手虎口?
北角から、さらに堀底を南へ進むと左手(郭側)上に土塁の切れ目があり、そのさらに南には右(外)
側土塁に切れ目がある。虎口かとも思うが、どちらも虎口様の下がかなり急斜面なので、ただ崩れただけかも?
郭内へ
堀底から郭方向を見る限り、鬱蒼とした雑木林のようだったが、上写真虎口?から入って行くと、
林には違いないが、結構整備されていたのは意外だった。中の方へ入って行くと、写真のように土塁や虎口が見えてきた。
虎口と土塁
さらに行くと、はっきり虎口が見えてきた。さらに右(南西)土塁上に鳥居が見えた。そして、
ここが本来の登城口であることが初めて分かった(苦笑)。
鳥居と祠
土塁上から郭を見下ろす
鳥居と祠が祀られた土塁上に登り、郭を見下ろす土塁に囲まれた郭の光景はなかなかのものだ。
南西部土塁
土塁上から南西部空堀を見下ろす
祠の祀られた土塁上から外側下を見下ろす空堀は、土塁上から深さ7~8mあり迫力があった。しかし、
写真にしたら、この通り全くその迫力が伝わらないのが残念!
南東部土塁
郭南東部は、他の場所よりかなり低くなっており、周りの土塁は郭内から6m以上ある。この辺りは、
郭内の他の場所とは違う機能を持つ建物か何かがあったのかも?
2郭?と土塁
虎口を南へ出ると畑があり、その横にも土塁があった。多分、ここは2郭だったのだろう。
2郭西側の空堀
土塁の外側には空堀が残っていた。この空堀は、規模が小さく幅が約2m、
深さはかなり埋まってしまったのであろうが1m弱である。堀の外(西)側は、急斜面になっている。やはり上写真の畑部分も郭跡だろう。