上野 平井金山城(藤岡市)

本丸跡へ、手前には城址碑と説明板

関東管領山内上杉氏歴代の山城

別名

平井詰城

所在地

群馬県藤岡市下日野
【アクセス】
県道173号線(県道金井倉賀野停車場線)と県道175号線が交差する「金井信号」から県道175号線をしばらく西進すると右側に「平井詰(金山)城址登山口」の大きな看板見え、ここに駐車場がある。
平井城址の見学後なら、そこから「県道金井倉賀野停車場線(県道173号線)」を南進すると「金井信号」へ出る。そこを右(西)へと曲がりしばらく進むと右側に「平井詰(金山)城址登山口」の大きな看板見え、ここに駐車場がある。
平井城址から車で3~4分ほどである。

形状

山城(標高326.2m、比高約160m)

現状・遺構等

【現状】山林(平井金山城址公園)
【遺構等】曲輪、土塁、石垣、虎口、井戸、標柱、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2008/01/08

歴史等

平井金山城は、平井城より南西約1kmの所にある平井城の詰城として利用されていたと考えられ、「平井詰城」と記載された文献も見られる。又、敵軍の来攻を早期に発見して速やかに味方上杉軍を迎撃配備に就かせ、督戦指揮を執るなど、 平井城の天守閣の役目も果たした重要な山城であった。
永享10年(1438)関東管領上杉憲実のために家臣で中世室町時代の大築城家蒼海(総社)城主長尾忠房が平井城の本丸に、二の丸とこの城を組み合わせて同時に築き、後に顕定が平井城を大拡張したと伝えられる。
『「平井城説明板」、「平井金山城本丸跡説明板&標柱」より』

現況・登城記・感想等

平井金山城は、山頂部の東西40m、南北30mほどの主郭を中心に、東稜線と北稜線(僅かではあるが西稜線にも)の瘦せ尾根上に塁段に狭い曲輪を配置した連郭式山城である。
一般的に、現在は登城は東尾根上を登ることになると思うが、痩せ尾根上に塁段状に配置された曲輪はあまりにも狭くて、よほど注意をして見ながら登らないと気が付かないほどであり、私も随分見落としたようだ。
北尾根は、東尾根と較べると比較的広くて段曲輪がよく分かり、また堀切や土橋などの遺構も良好に残り分かりやすく見応えもある。
ただ、時間の関係で、井戸曲輪辺りの所まで降りて行ったあと、引き返したため、櫓門跡や大堀切などの遺構を見ることが出来なかったのが残念無念。
また、いつかリベンジしたいものだ。
(2008/01/08登城して)

【余談】
平井金山城へは登城するかどうか迷った。
その理由は真冬のPM2:30でもあり、山中にいる間に日が暮れるのが怖いこともあるが、もう一つ理由がある。
サイトで見つけた当城跡に登城した先達の多く方による『斜面が急な上に地盤が脆いのでくれぐれも滑落に注意! 雨の後なんかは行かない方が無難。落石の痕跡もあるまた、 この近辺は有数の雷多発地帯なので、「アヤシイ」と思ったら行かない勇気も必要。』等々のアドバイスである。
幸い今日は天気は良い。自分一人なら、山容を見る限り1時間強もあれば戻って来れると思うが、妻も一緒である。妻に相談したら、「登ってもいいよ」の一言。ということで出発~!

ギャラリー

縄張図(本丸下説明板より) ~画面をクリックにて拡大画面に~
平井金山城縄張図

登山口駐車場から金山城址を
山容を見たところ、比高差は160mほどだが、真冬の2:30。自分一人なら、山容を見る限り1時間強もあれば戻って来れると思うが、家内も一緒である。山中にいる間に日が暮れるのが心配なこともあり、迷うところだが・・・。家内に相談したら、「登ってもいいよ」の一言。ということで出発~!
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登城始めていきなり出会う石垣
登山口を入って行くと、いきなり石垣に出会う。そんなに新しいものではないが、解説もなく、往時のものかどうかは分からない。
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登城口
そして、いよいよ登り道へと入ると、「主郭まで約700m 現在地標高178m」の案内板があり、大したことないなと一安心。ここにも石積みが見られる。
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よく整備された竹薮の中を
登り始めると、綺麗に整備された竹薮になっており、雷の避雷針代わりなのか、道の両側に空き缶が一杯針金で吊るされている。実は、この近辺は有数の雷多発地帯なのだ( ̄ー ̄;。
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またまた石垣が
道を進んで行くと、杉林に変わり、「主郭まで約600m」の案内板の所へ出る。すると、そこに、またまた石垣が・・・。
この辺りの石垣は、古い野面積みの石垣で、本物(往時のもの)のように見えるが、どうなんだろう?しかも、 いかにも山麓の城館跡のような感じである。???
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ここからが本格的登り道
さらに進んで行くと、「本丸まで550m」と「登り口と8合目の物見台跡付近が急坂になっているので、休み休みお登り下さい」との案内板がある。いよいよここからが本物の登り道らしい。
確かに、それなりに急坂で、道も狭く、しかも落ち葉がいっぱい落ちていて、滑りやすく多少危険でもあったが、最近登った「埴原城」
「鹿伏兎城」等と較べれば何てことはなかった。
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物見台下へ出る虎口(or堀切)のような地形
坂を登り切ったところに虎口のような地形があり、その右側に物見台跡がある。
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物見台跡
この城域東部に張り出した物見櫓は、敵軍の来攻を早期に発見して速やかに味方上杉軍を迎撃配備に就かせ、督戦指揮を執るなど平井城の天守閣の役目も果たした。入口に石段があり、外傍には石垣が残っている。(説明板より)
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尾根伝いの道
物見台跡からは、尾根伝いに本丸へと登って行くと、途中、「堀切」と刻まれた石柱がないと気がつかないほどの小さな堀切跡がある。
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小さな堀切
小さな堀切であるが、よく見ると岩が掘削してあるのが分かる。
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虎口
そして、次に虎口が現れるが、虎口は喰い違い虎口のように連続して築かれている。
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細長~い曲輪
連続した虎口を入って行くと、なだらかな尾根を加工した東西30m、南北15mほどの細長~い平場(曲輪)があり、低い段差で繋がっている。
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清水刻字岩
曲輪には、金山城に勤務した城兵の飲料用水など、清水の湧き出す所を示す「清水刻字岩」という道しるべ岩がある。
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上の段の曲輪
上の段の曲輪は東西30m、南北15mほどの狭い曲輪である。
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本丸下の分岐点
本丸下で道が分かれ、右へ行くと「井戸曲輪や櫓門、表城門」へと行く北稜線の道である。
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本丸
まずは、取り敢えず本丸へと向かう。本丸へはスロープ状の土橋様の狭い道で繋がっている。
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本丸虎口
本丸の虎口部分は、少し窪地になっており桝形虎口であったのかもしれない。
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本丸
本丸は東西40m、南北30mほどである。ここから西への西稜線にも2つほどの曲輪があるようだ。
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篝火台と案内板
本丸には「上杉憲実の永享の乱・藤岡郷の戦い、籠城本陣跡」の案内板と「篝火台」が設置されている。また「上杉氏方支城」の案内板が方角別にいっぱい設置されている。しかし、本丸からの眺望は、真冬にも関わらず木の枝が邪魔してあまりよく見えなかった。
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本丸西側下の曲輪に備えられた雷除けの避難小屋
本丸南面に大石垣があるというので、本丸の西下の曲輪へ降りると、小屋が建てられていたが、雷除けの小屋だそうだ。ただの雨除けなら分かるでけど、こんな小屋で大丈夫なんだろうかねえ?
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本丸南面の大石垣へ向かう
本丸南隅に「本丸跡南面の大石垣見学通路」の案内板があったので、本丸西下の曲輪経由で、大石垣へと向かったが、崖道たるや本当に細い上に、脆く、さらにはすぐ下が強烈な崖になっており、正直危険だ w(*゚o゚*)w。
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本丸南面大石垣(岩のすぐ下が見学路。すぐ下は絶壁。)
大石垣はデカイ岩が重なり合っているが、これは人工的なものでなく自然のものだろう!?
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【北稜線へ】
本丸下への虎口、堀切、土橋

本丸へ戻ったあと、再び本丸東下の北稜線へ向かう分岐点に戻り北尾根上を降りて行くと、虎口があり、その向こうに堀切と土橋が見える。
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堀切
上写真の堀切。

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振り返って堀切、土橋、虎口、そして本丸を仰ぎ見る
土橋を渡ってから振り返って見る「手前に堀切・土橋、その向こうに虎口、その上に本丸」というアングルがなかなかのものだ。
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北尾根上の段曲輪
土橋の向こう(北方面)は、スロープ状の稜線を塁段に加工した曲輪群で、低い段差で7~8段に区画されている。曲輪の幅は広いところで30mほどあり、東西両側は急崖になっている。
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井戸曲輪への土橋(土橋の向こうは井戸曲輪) 
段曲輪を降りて行くと、「井戸曲輪」と「櫓門、表城門跡発掘遺構」への分岐点へと出たので「櫓門、表城門跡発掘遺構」へとちょっとした藪こぎをしながら、しばらく降りて行ったが、ちょっと時間が気になりだし、時計を見るとPM3:20である。発掘遺構は是非見たいが、帰り道が心配になってきたので、また次回ということで、涙を飲んで引き返し、井戸曲輪を見たあと下山することにした。
井戸曲輪手前には、良好に残る堀切と土橋がある。
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井戸曲輪
井戸曲輪は東西30m、南北15mほどで、ここにも雷除けの避難小屋が建てられている。
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井戸曲輪上に建てられた雷避難小屋と井戸跡
井戸は井戸曲輪の南西端側面の岩盤をくり抜いて造られている。
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井戸跡
井戸は、尾根上から約3m、東西に長い4隅に丸みのある長方形をしていた。この地は湧水が少ない為、臨戦時には水が運ばれ、一時的な水場として使われたと考えられている。(説明板より)
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井戸曲輪復元絵図(現地案内板より)
発掘調査の結果から復元すると、下の絵のようになるらしい。
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