若狭 高浜城(高浜町)

芝生公園北の浜辺から高浜城址を望む

西若狭の水軍・逸見昌経が築城した海城、その後山内一豊等が城主として入城

所在地

福井県大飯郡高浜町事代(城山公園)
【アクセス】
「国民宿舎城山荘」の北が城跡で登城口もある
国民宿舎城山荘:高浜町城山公園内、電話0770-72-0357

形状

平山城(海城)

現状・遺構等

現状:城址公園
遺構等:曲輪、土塁、石垣、櫓台、碑(石柱)、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2011/04/24

歴史等

砕導山城(さいちやまじょう)の逸見昌経は、永禄4年(1561)若狭守護武田氏の内紛(守護義統とその子元明との父子の争い)に乗じて叛乱を起こした。
元明側に付き、国吉城の粟屋勝久とともに東西が相呼応して義統と対決しようとしたが、義統は国吉城に対しては越前朝倉氏に依頼して攻撃させ、逸見氏には自己の勢力を結集して対戦した。結局、同年6月、昌経は合戦に敗れ砕導山城は落城した。
巻き返しを図る昌経は、永禄8年(1565)高浜湾に突き出た小半島に高浜城を築いた。
当時、若狭国内の城郭は全て山城であったのに対し、高浜城は平山城であったが、逸見氏は伝統的に水軍を軍事力の要としており、3方を海に囲まれた海城として機能していたと思われる。
永禄9年(1566)、逸見氏は一族の河内守を総大将として船団を組んで海上より武田義統を攻めたが、逸見方は再び敗退し、河内守も討死した。
その後、逸見昌経は織田信長と手を組み、粟屋勝久らとともに元亀元年(1570)以降、信長の越前侵攻に従い転戦、その功により新旧地合わせて八千石を得た。
しかし、天正9年(1581)昌経の病死により没落し、以降、溝口秀勝・山内一豊・木下利房が城主となった。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後は、京極高次が若狭へ入部し、重臣の佐々義勝を城代としたが、寛永11年(1634)京極忠高が出雲松江に移封となり、酒井忠勝が武蔵川越城から小浜城へ入城し、高浜城は廃城とした。
『「日本城郭大系11」、「現地説明板」ほか参照』

現況・登城記・感想等

高浜城は日本海に突き出した岬に築かれた海城で、陸続きの南側以外の三方向は海に面した岩盤の絶壁になっている。
浜辺から眺める城跡の光景や城跡(特に北東部に建つ小さな灯台辺り)からの眺望は素晴らしいが、遺構という点ではあまり見るべきものはない。
城山の南端頂部の濱見神社が鎮座する所が本丸で、祠の裏の一段盛り上がったところが櫓台のようである。
本丸の東の堀切(往時のものか不明)を挟んで、2段ほど削平地があり、それぞれ2郭と3郭のようだ。尤も、公園化で、かなり改変されているようだが・・・。
また、石垣も残るとのことで、散々捜したが見つからなかった(本丸の西側側面にあるらしい)。事前準備不足が惜しまれる(;>_<;)。
いずれにしても、ここは城跡としてでなく、明鏡洞をはじめとする高浜八穴(やな)など景勝地を愛でに訪れるところだろう (*^_^*)。
(2011/04/24登城して)

ギャラリー

城山公園案内図(芝生公園説明板より)
IMG_3075

芝生広場に立つ城山公園石碑と高浜城址説明板
城跡である城山には城全体に関する説明板がなく、芝生広場に立っている。
IMG_3033

城跡入口
国民宿舎の「城山荘」の北に城跡へ登る道がある。写真の左右ともに登城道であるが、右の道は入ってすぐ左手上に崖崩れがあったようで、立ち入り禁止となっていたので、左側の道から登った。
IMG_3074

堀切
登城口から、それなりに雰囲気のある道を3~4分ほど登ってくると堀切に橋が架けられている。写真左上が本丸跡で、右の土塁上から橋を渡って行く。城跡は、公園化でかなり改変がされているようなので、この堀切が往時のものかどうかは不明だ。
IMG_3055

本丸(手前が濱見神社、奥が櫓台)
本丸は、城山の南端頂部に位置し、規模は東西10×南北20~25mほどで、逸見氏の慰霊と顕彰のための濱見神社が祀られている。
以下説明板より
戦国の武将武略家であった逸見駿河守昌経公は、その善政に於ける名声もまた近隣を圧していたと伝えられる。永禄8年(1565)、この城山に高浜城を築き、佐伎治神社の再建、各寺院の興隆につとめ、農漁業の振興をはかるなど、特に地子銭を永久免除された特例措置については、明治維新まで継承されたといわれ、昭和初期までお盆には各戸が軒灯籠をして、その遺徳を偲んだのである。昭和56年逸見昌経公歿後400年にあたり、関係者有志によって領主の慰霊と顕彰の意を表する為、この御社を建立した。高濱の濱と逸見の見を入れて濱見神社とした。
IMG_3059

櫓台
本丸中央には櫓台と思われる土壇があり、その手前に小さな城址碑が建てられている。
IMG_3056 IMG_3057

2郭
本丸東の堀切を挟んで、2段ほど削平地があり、それぞれ2郭と3郭のようだ。尤も、この辺りも公園化で、かなり改変されているようだが・・・。
IMG_3062

2郭北側の土塁
2郭の北側には分厚い土塁が残っている。
IMG_3065

高浜城山灯台
2郭の北東には小さな灯台が建っている。
IMG_3068

灯台からの眺望
灯台からの眺望は素晴らしい。下には遊歩道があるが急崖になっており、降りるための?ロープが松の木に繋げられていた。その下は、さらに急崖になっており、その下は岩場で、往時の船溜の雰囲気が!?
IMG_3070

天王山
城山の東にも小半島(天王山)がある。この小山も、おそらく見張り台などの役割をしていたことだろう。この山にも遊歩道が設けられている。写真左の岩穴は「明鏡洞」である。
IMG_3036

明鏡洞(めいきょうどう)
この付近の海岸は浸食によって、通称「八穴(やな)」の奇勝と呼んでいる。その代表的なのが高浜城から入江を挟んだ東側の岬にある洞窟「明鏡洞」で日本海を望み水平線が美しく鏡の様だとして名付けられた。風光明媚な高浜海岸のシンボルである。3代将軍足利義満も数度にわたり、八穴を鑑賞するために高浜に立ち寄っている。
IMG_3039

高浜漁港から高浜城跡(城山)を
前回(2006/04/03)に高浜を訪れた時に撮ったものだが、素晴らしい景色だった。
43wakasa

高浜漁港
この辺りの景色は全て素晴らしい。左の島は稲島、右は鷹島。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント