国宝の現存天守閣
最近(平成16年)まで個人所有であった国宝の城
別名
白帝城
所在地
愛知県犬山市大字犬山字北古券65-2
形状
平山城(標高85m)
現状・遺構等
【遺構】現存天守閣(国宝)、城門、鉄門(模擬)、櫓(模擬)
満足度
★★★★★
訪城日
2003/04/30
歴史等
犬山城は天文6年(1537)現在の位置に天守が造営され、織田与次郎信康が城主となったが、天文16年(1547)岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。
その後何代か城主が替わり、文禄4年(1595)石川備前守光吉が守った。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の後小笠原和泉守吉次が入城した。この石川、小笠原両氏の手によって、今世の犬山城が完成された。
その後、平岩主計頭親吉のあと元和3年(1617)、尾張家の徳川義直の付家老であった成瀬隼人正正成が城主となってからは成瀬氏が継いで明治に至った。明治4年(1871)、9代目正肥のとき廃藩置県で廃城となり天守を除くほかは殆ど取り壊された。
同24年(1891)、濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門が壊れたので、同28年(1895)、当時の所有者であった愛知県では、修復や保存などを条件に、旧犬山藩主成瀬正肥へ無償譲渡され唯一の個人所有として現在に至っている。
昭和10年(1935)5月13日国宝に指定された。同27年(1952)3月29日文化財保護法により天守閣が国宝に再指定され。昭和30年代に入ると度重なる天災などのために城は荒れ、昭和36年(1961)4月から解体修理の工事が始められ、昭和40年(1965)3月2日に完成した。この時以来、成瀬家と犬山市の間に管理委託契約が結ばれ、犬山市が管理を請け負い現在に至っている。
『犬山市観光協会公式ホームページ・犬山市観光情報より』
現況・登城記・感想等
実に美しい天守である。特に、木曽川の反対側の堤から見る犬山城は格別に美しい。
最近、次々に建てられつつある模擬城が犬山城を真似するのも当然かもしれない。
天守閣の上からの眺望も素晴らしい(遠くに、岐阜城の金華山も望める)。
(2003/04/30登城して)
ギャラリー
登城道
本丸へと真っ直ぐに延びる道。何となく安土城の登城道に似ているような。