三河 野場西城(幸田町)

僅かに残る土塁、土塁上には小さな城址碑と説明板が

大須賀氏が築城

所在地

幸田町野場字城
【行き方】
国道23号「須美」信号を北へと県道325号に入る。2.3km程進んだ「野場西信号」を直進し、更に300m程北上し、右手に「一級河川・ 赤川」の看板があるが、そこを左へと路地へ入る。50mほど進み、さらに左へ曲がってすぐに土塁がある。
分かり辛いので、近くに着いたら地元の方に聞くのが正解だと思う(苦笑)。

形状

平城

現状・遺構等

現状:宅地
遺構等:土塁、石柱、説明板

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2009/05/07

歴史等

野場西城は、室町時代(15世紀頃)に大須賀氏によって築かれた。
大須賀氏は千葉氏の一族で、常胤の四男胤信が香取郡大須賀保を領し、大須賀氏を称したのにはじまる。室町時代(15世紀頃)、 大須賀胤重が三河にやってきて吉良氏に仕え、野場西城を築いたようである。
永禄6年(1563)の三河一向一揆には、夏目吉信、大津半右衛門、乙部八兵衛等が野場西城に拠ったが、松平伊忠に攻められて落城し、 以後廃城となった。
尚、野場で生まれた大須賀胤高は、家康に仕えて「康」の一字を賜り、「康高」と改めた。康高は、高天神城攻略など数々の戦功をあげ、 遠江横須賀城主となった。
『「現地説明板」、「静岡県古城めぐり(静岡新聞刊)」他参照』

現況・登城記・感想等

集落内の民家脇に土塁が残り、そこに案内板と小さな石柱が立っている。
民家の西側裏手にも高さ4~5mの土塁が10mほど残っているが、高い樹木に遮られ、写真写りがもう一つなのが・・・。
(2009/05/07訪れて)

ギャラリー

説明板と石柱

西側の土塁

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コメント

フロンタおやじ(2009/07/24)

ご無沙汰してます。

久しぶりに覗いてみたら、愛知県の城の数が大幅に増えているではありませんか。もしかしたら、我が小学校・中学校・高校・大学と暮らしていた町にもついに来てくださったか、と開けてみて感動しました。
 「おおっ! 高力城!」。ここは、私が小学校時代をすごした場所です。半世紀近く前の私の小学校時代から有名ところでした。

 さらに、現在の実家は、野場西城の近くです!!! 他の幸田の城跡も私的には、大有名です!いずれも掲載してくださってどうもありがとうございました!長き道のりでした。

タクジロー(2009/07/25)

フロンタおやじ様
コメントありがとうございます。
三河には、まだまだ城址が一杯あるので、これからも訪問したいと思っております。
今後も、時々、当サイトへお寄り下さい。

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