荒々しい野面積み石垣上に建てられた天守
家康生涯の負け戦「三方ヶ原合戦」の地・浜松城は出世城
所在地
静岡県浜松市元城町100-2
形状
平山城
現状・遺構等
現状:浜松城公園・市街地
遺構等: 模擬天守、石垣、曲輪、碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2003/10/11
歴史等
永正年間(1504~1520)に戦国大名今川氏親の支城として重臣飯尾乗連が居城していた曳馬
(引馬)城が起源と云われている。
永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると松平元康(後の徳川家康)は今川家を離反して岡崎城に戻り独立した。
そして、永禄11年(1568)旧今川領に侵攻を開始して曳馬城を落とした。
その後、元亀元年(1570)、家康は遠江を制圧すると岡崎城を長子信康に譲り、
曳馬城に移った。天正5年(1577)、家康は本多作左衛門重次を奉行として、三河・遠江2ヶ国の大名に相応しい大規模な城造りに着手し、
曳馬城域を含む形で、西方の高台に新たな城を造ることになった。
浜松城は、三方原台地の東南端に位置し、天竜川の河岸段丘と入り混じった谷がいくつもあり、これを天然の堀とした。犀ケ崖もその一つである。
家康は、 29歳から天正14年(1586)45歳で駿府城
(静岡市)に移るまでの17年間、浜松城を本拠にしていたが、その間、有名な三方ケ原合戦、姉川合戦、長篠合戦、 高天神城合戦、 小牧・
長久手の合戦もこの期間に行われ、特に元亀3年(1572)三方ヶ原合戦は、家康の生涯における難戦で散々な負け戦であった。
家康が駿府城に移ったあと、
天正14年(1586)から同18年(1590)までの期間は、家康の臣・菅沼定政に預けられた。
家康の関東移封後は、豊臣系大名の堀尾吉晴が12万石で入った。
関ヶ原合戦の後、堀尾氏は出雲富田へ転封となり、
代って美濃金山から松平忠頼が5万石で入った。以来、浜松城は中小規模の5、6万石の譜代大名の居城となり、
通算すると幕末まで譜代大名10家、22代を数える。とりわけ、家康ゆかりの城というわけで、岡崎城と並び
「出世城」としてのイメージが定着し、幕閣への登竜門として意識されていたようである。実際に、在城中に老中に5人、大阪城代に2人、
京都所司代に2人、寺社奉行に4人(兼任を含む)が登用された。
『静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)参照』
感想等
浜松には泊出張も含めて16年間いたことになる。、しかも会社も浜松城のすぐ近くにあり、私の住所は、家康の正室築山殿が殺された地・
富塚であった。
さらに、飲み屋さんには「出世城」などという銘柄の酒があったり、「三方原」「小豆餅」「布橋」等の地名も残っており、
家康と非常に関わりの多い土地柄もあり、その存在は知っていたにもかかわらず、お花見等で来た以外には何故か一度も訪城したことが無かった。
家康が嫌いだからというわけでもないが、いずれにしても今日が初めての登城である。浜松城は市役所の奥の小高い丘の上に見える。
改めて見てみると結構絵になっている。登城すると階段や庭等がなかなか旨く整備されている。そして階段を登っていくと、
典型的な野面積みの石垣の上に城が建っている。野面積みの石垣は、決して綺麗ではないが、実に荒々しく、野生的である。特別な感想はないが、
やっと来たかといった感じである。
(2003/10/11登城して)
【浜松城天守閣について】
浜松城は、天正18年(1590)に入封した堀尾吉晴が石垣・天守を持つ近世城郭を完成させた。城に天守が築かれたのは、
唯一堀尾氏時代の非常に僅かな期間だけで、正保年間(1644~48)には既に天守は存在していなかった。
当然、外観などは全く判らないので、昭和33年に建てられた現在の天守はそれを復元している訳ではない。
即ち模擬天守ということになるであろう。
ギャラリー
浜松城遠景(市役所手前から)
徳川家康の像
若き日の家康像となっているが結構老けている。
天守閣と天守曲輪への虎口
天守曲輪に残る井戸(銀明水)
浜松城は典型的な野面積みの石垣(これも悪くない)
鎧掛松
三方ヶ原の戦いで敗れた徳川家康が、
鎧を掛けて休憩したという。
犀ケ崖(浜松城の北方約1kmにある)
深さは10m強ほどか?
三方ケ原で甲斐の武田信玄に大敗し、命からがら逃げ込んだ徳川家康は、浜松城にひき、反撃の機会を待った。犀ガ崖に白い布を貼り、
武田軍をさそいこみ、橋が架かっているように見せかけ,谷底に落としたと言われている。そのため、多くの命を落とした。そこで家康は、
たたりを沈めるため供養をした。それが「遠州大念仏」の起源である。また、そこから、この地は「布橋」という地名になっている。
三方原古戦場の碑
(浜松市三方原町の三方原霊園の駐車場隅に)
実際の合戦地は諸説があるが一般的には祝田とされているが、祝田は、もう少し北の方になる。また、
もう一つの説として小豆餅という説があるようだが、小豆餅は反対にもっと南(浜松中心部方面)になる。
浜松の鰻(うなぎ曳馬:浜松市上島1-27-39、
TEL(053)474-8731)
浜松と言えば鰻を連想する人も多いと思うとおり、浜松には鰻屋さんは多いが、曳馬城址に近い
「うなぎ曳馬」の鰻はボリュームもあり、割安である。しかも、非常に美味い。浜松在住時代には、月2回は食べていたものである。