城跡は市街地に埋もれ道路端に建てられた城址碑
藤原秀郷(俵藤太)を祖とする赤堀三家の一つ赤堀家の居城
所在地
三重県四日市市城東町20
城東町の南端の松本街道沿いに石碑
形状
平城
現状・遺構等
【現状】市街地
【遺構等】石碑(裏に説明文)
満足度
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訪城日
2009/05/07
歴史等
赤堀城主は、上野国赤堀庄を本貫地とする赤堀氏で、文和2年(1353)に赤堀勝謂が足利尊氏から鈴鹿の野辺御厨地頭職等を安堵され、応永年間(1394~1428)に景信がこの地に移り、城を構えたとされる。
景信は、長男の盛宗を羽津に、次男の秀宗を赤堀に、そして三男の忠秀を浜田に配した。世にいう赤堀三家である。
その後、約200年、織田信長に滅ぼされるまで赤堀氏の居城であった。
『石碑裏説明文他参照』
現況・登城記・感想等
赤堀城址は、今では四日市市中心部に近い住宅地となり、全く面影がなく、城東町の南端の松本街道沿いに石碑が建てられ、石碑裏側には説明文が彫られている。
城東町辺りに石碑があるのは知っていたが、見つけるのに本当に苦労し、何と今回で10回以上のチャレンジであった。
「たかが、石碑」であるが、私の先祖に関係するとされる「赤堀三家」の城址であるので諦めずに、捜しに捜した。見つかってよかった~(苦笑)!
(2009/05/07)
ギャラリー
松本街道沿いの石碑
城東町の南端、松本街道沿いのパスタ屋さんの前に石碑をついに見つけた~!捜し始めてから10回以上、3年目だ(苦笑)。