薩摩 出水麓(出水市)

出水麓の武家屋敷群の石垣と生垣

武家屋敷群が残る薩摩藩最古且つ最大の麓(外城)

読み方

いずみふもと

別名

出水外城(いずみとじょう)

所在地

鹿児島県出水市麓町
【アクセス】
出水小学校の北側一帯に武家屋敷群が残る。駐車場は多くの場所にある。
出水小学校:出水市麓町9-13、電話0996-63-2151

現状・遺構等

【現状】 宅地
【遺構等】 仮屋門、武家屋敷群(武家門、石垣、生垣)

満足度

★★★☆☆

訪城日

2012/11/15

歴史等

江戸時代、薩摩藩は、元和元年(1615)の一国一城令により、鹿児島城(鶴丸城)以外の城は全て破却し、それに代わるものとして、外城 (とじょう)と呼ばれる行政区画を設け、「御仮屋」とか「地頭仮屋」といわれる在地役所を中心に、その周囲に犬槙の生垣、石垣造りの郷士屋敷の集落「麓」を形成した。
出水麓もその一つで、城山(出水城)を背にした台地に造られた。肥後との国境に位置する出水は守りの要であり、薩摩藩最古かつ最大の外城で、多くの薩摩藩士が住みつき防衛の任についていた。
尚、薩摩藩内にある他の100を超える外城(時代により増減があったが、寛永16年には113ヶ所)も出水にならったといわれている。
『「現地説明板」、「日本城郭大系18」他参照』

現況・登城記・感想等

出水麓は、広範囲にわたって武家屋敷群が往時のまま残り、その風格ある武家門、川石を使った玉石組みの石垣、生垣などの光景は風情がある。
薩摩藩内に100ヶ所を超えるという「麓」の中で、出水麓・知覧麓・入来麓は武家屋敷群が良好に残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているという。中でも、この出水麓は非常に広範囲にわたり残っており、中には見学のできる武家屋敷もあり、楽しく散策できる。
また、出水小学校には「仮屋門」が校門として現存している。
残念なのは、出水に入ったのが、夕方になってしまい、隧道23ヶ所、底水道2ヶ所を持ち全長約20kmもあるという「5万石溝」を見落としてしまったことだ(/。ヽ)。
(2012/11/15訪れて)

ギャラリー

出水麓武家屋敷群案内図 ~画面をクリックにて拡大画面に~
出水麓案内図

仮屋門
出水小学校には「仮屋門」が校門として現存している。この門は、島津義弘が居城していた帖佐館の大手門を出水に移し、出水へ隠居して薩摩北辺の守りに任じたいと思い移築したものである。尤も、島津家と徳川家康との和睦が成立して国境が平和になったため、義弘の出水入城は実現しなかったが・・・。
仮屋門

武家屋敷群の町並み(石垣と生垣)
出水麓は、広範囲にわたって武家屋敷群が往時のまま残り、その風格ある武家門、川石を使った玉石組みの石垣、生垣などの光景は風情がある。
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武家屋敷の門(税所邸)
武家屋敷のほとんどが、今も末裔の方々が住んでいるが、見学ができるところもある。
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武家屋敷(税所邸)
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