南部藩モロラン陣屋(室蘭市)

表門脇の土塁と水堀

幕末、幕府が仮想敵国ロシアを想定して南部藩に命じて造らせた陣屋

別名

東蝦夷地南部藩陣屋

所在地

北海道室蘭市陣屋町2-5-1
【アクセス】
室蘭市民俗資料館の西約200m
室蘭市民俗資料館:室蘭市陣屋町2-4-5、電話0143-59-4922

形状

陣屋

現状・遺構等

【現状】 国指定史跡
【遺構等】 曲輪、土塁、水堀、空堀、石碑(3基)、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2007/09/09

歴史等

18世紀末、帝政ロシアが千島・樺太へ次々と南下侵攻してきて、幕府にも蝦夷植民地化の危機感が広がった。幕府は、嘉永6年(1853)のペリー来航により、箱館開港と箱館奉行所を設け、安政2年(1855)には、松前藩任せでは無理との判断から蝦夷の直轄を決めた。
幕府は、津軽藩・南部藩・仙台藩・秋田藩・松前藩の5藩に分担で蝦夷の警備を命令した。南部藩は、箱館から幌別までの海岸一帯(約248km)の警備を命ぜられた。
現地調査にあたった上山半右衛門、新渡戸十次郎(新渡戸稲造の父)は、仮想敵国ロシアは港から侵攻すると想定した陣を敷いた。津軽海峡を守る箱館元陣屋に主力を置き、絵鞆(室蘭市)のこの地ペケレオタに出張陣屋を、ヲシャマンベに屯所を、砂原には分屯所を設けることにした。
このモロラン陣屋は、安政3年(1856)3月に着手し突貫工事で9月に完成したが、慶応4年(1868)、明治維新の動乱の中で、明治元年(1868)8月12日南部藩はこの陣屋を焼却して本藩(岩手県)に引揚げた。
『「現地説明板」、「室蘭民俗資料館内展示&印刷物」参照』

現況・登城記・感想等

モロラン陣屋は、外郭を巡らし、その囲みの内側に本郭を土塁で囲み、二重構造で築かれた内外二重方形土塁の陣屋です。
本郭周囲の土塁は高さ2~3mほどあり、土塁の外周を堀がめぐっています。堀は、海に面した正面南側は水堀、その他は空堀となっています。そして、これら本郭と堀の外側には、さらに土塁がめぐらされています。
総面積は1万7500㎡で、仙台藩白老元陣屋 (6万6000㎡)と較べるとかなり狭いですが、白老元陣屋同様、よく整備され、表門両側に大きくて立派な石碑が2基、さらに裏門前にも石碑が建っています。
本郭内には、建物跡の平面表示がされ、また敷石が残り往時の通路等も分かります。
モロラン陣屋は海側への防御を意識した陣屋ですが、今では海側にあたる表門の目の前を室蘭本線や国道37号線が通っており、往時を偲ぶよすがもありませんが、陣屋裏は杉林になっており、それなりの雰囲気は残っています。
尚、杉林は、本郭の背後に植えられたものと、火薬庫の周囲に日差しよけとして、また外郭南側に植えられたものの一部だそうです。
(2007/09/09登城して)

ギャラリー

モロラン陣屋縄張略図(現地説明板より)
モロラン陣屋は、外郭を巡らし、その囲みの内側に本郭を土塁で囲み、二重構造で築かれた内外二重方形土塁の陣屋です。
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モロラン陣屋内陣案内図(現地案内板より)
本郭周囲の土塁は高さ2~3mほどあり、土塁の外周を堀がめぐっています。堀は、海に面した正面南側は水堀、その他は空堀となっています。そして、これら本郭と堀の外側には、さらに土塁がめぐらされています。
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水堀と空堀
本郭周囲の土塁の外周には堀が築かれていますが、海に面した正面南側は水堀、その他は空堀となっています。当写真は、本郭の南西隅の土塁の外側になります。
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本郭南側の土塁・水堀と内外二重方形土塁
写真右側の土塁(復元かも)は外郭を巡る土塁ですが、海側への防御を意識した陣屋なのが分かります。
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本郭東側の土塁と空堀
本郭周囲の土塁は高さ2~3mあります。
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本郭背後の空堀と外郭の杉林
杉林は、本郭の背後(北側)に植えられたものと、火薬庫の周囲に日差しよけとして、また外郭南側に植えられたものの一部だそうです。
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本郭内
本郭には火縄銃の鉄砲武者たちの兵舎や稽古場、馬屋、大砲置き場など7棟と井戸が設けられていました。現在、それら建物跡の平面表示がされています。
DSC01704

本郭内の敷石による通路
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表門
表門は正面南側にあり、その両側に立派な石碑が建てられています。
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表門の両側に立つ石碑 
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裏門
裏門は東側にあり、ここにも石碑が建てられています。
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