羽後 払田柵(大仙市、旧仙北町)

復元された外柵南門

諸資料に記載のない謎の大城柵

読み方

ほったのさく

所在地

秋田県大仙市(旧仙北町)払田長森、払田柵歴史公園
払田柵歴史公園:大仙市払田仲谷地95、電話0187-69-2397

形状

城柵

現状・遺構等

【現状】 払田柵歴史公園
【遺構等】 復元門、建物復元表示、石塁、井戸、説明板など

満足度

★★★☆☆

訪城日

2015/10/26

歴史等

古代、中央政府は縄文時代以来の伝統と風土に育まれ、国の支配が及ばない広大な東北の地を律令国家の領域に取り組もうとしました。そして、東北進出の拠点となる多賀城秋田城、雄勝城、胆沢城志波城徳丹城など多くの城柵を築いていきました。
城柵は、行政と軍事機能を備え、中央から派遣された役人が駐在したほか、国家に抵抗する蝦夷の人々に備えて兵士も駐在していました。
払田柵に関する記述は、何故か当時の出来事を記した「続日本記」などの文献に見当たりませんが、発掘調査により平安時代初頭の801年に築かれ、約150年後の10世紀後半に使われなくなったことが分かりました。
『「現地説明板」、「資料館購入パンフ」等参照』

現況・登城記・感想等

東北地方、特に岩手県と秋田県の城めぐりをすると、多くの柵跡に出逢います。そして、その多くが発掘・整備・復元が進んでいますが、この払田柵も見事に発掘・復元事業が進み、素晴らしい公園となり、資料館まであります。
払田柵は、今までに訪れた柵の中でも特別広くて、外柵は全長約4kmほどあり、政庁跡のある長森の周囲(外郭線)を廻るだけでも1.6kmほどありそうですw(*゚o゚*)w。
但し、平安時代の歴史に疎い私には戦国時代の城跡ほどの興味が持てないので、大急ぎで廻り、1時間10強で見学終了です。尤も、じっくり廻りはしませんでしたが、大きな見落としはないと思いますが・・・。
それにしても広かった~✩⃛*ෆʃᵕ ॢᴗ ॢᵕ)꒡◡꒡*ƪෆ*✩
さて、払田柵は、長森・真山を取り囲む外柵と、長森だけを囲む外郭線があり、それぞれ東西南北に城門が構えられていたようです。
そして、長森(丘陵)上には政庁とされる中枢施設があり、外柵南門から一直線に大路が延びていたようです。
現在、払田柵跡は発掘調査が進み、外柵南門・大路・川・橋・石塁の復元、さらには外郭線の東西南北全ての城門の門柱設置や政庁建物の復元表示が行われています。
(2015/10/26訪れて)

ギャラリー

東北地方の城柵(現地購入パンフより)
古代、中央政府は縄文時代以来の伝統と風土に育まれ、国の支配が及ばない広大な東北の地を律令国家の領域に取り組もうとしました。そして、東北進出の拠点となる多賀城、秋田城、雄勝城、胆沢城、志波城、徳丹城などの城柵を築いていきました。
東北地方の城柵

城柵が設置された年代
城柵が設置された年代

払田柵全体図(現地購入パンフより) ~画面をクリックにて拡大~
払田柵は、長森・真山を取り囲む外柵と、長森だけを囲む外郭線があり、それぞれ東西南北に城門が構えられていました。そして、長森(丘陵)上には政庁とされる中枢施設があり、外柵南門から一直線に大路が延びていました。
払田柵全体図

【登城記】
総合案内所で展示を見てから登城しました。案内所の管理人の方によると、外柵周囲全長約4kmほどあるとのことで、まずは政庁跡のある丘(長森)に登ってから、政庁跡のある長森の周囲(外郭線)を廻ることにしました。尤も、全体図を見ると外郭線だけでも1.6kmほどありそうですw(*゚o゚*)w。見て廻った順に紹介します。
外柵南門(復元)
払田柵跡へは、復元された外柵南門から入城します。 
03外柵南門

大路
外柵南門をくぐり、政庁に向かってほぼ真っ直ぐ伸びる大路を歩いて行きます。大路の幅は約12mあり、払田柵のメインストリートであったと思われます。
尚、政庁のある丘(長森)の下に多くの人がいました。最初は、発掘調査をしている方々かと思いましたが、それについては後程・・・。

05長森遠景

川と橋(復元)
大路を歩いて行くと、左手にくねくねと蛇行する川があり、そこに架けられた橋を渡ります。平成4年の発掘調査で大路を横切って流れる川があり、橋が架けられていたことが判明したのだそうです。
川も橋も復元されたものですが、川は物資の輸送などに使われていたと推定されています。橋は発掘調査の成果をもとに古建築の工法を取り入れて復元されたもので、橋脚の根元部分などの遺構が現在も地中に埋蔵されているそうです。当写真は、橋を渡ってから振り返って撮ったものです。

09川と橋

大路西建物跡
橋を渡り政庁へ向かうと、左手に建物跡が復元表示されています。発掘調査で検出された外郭南門前の官衙域を構成する掘立建物跡を平面表示したものです。
尚、外柵南門をくぐった時に発掘調査をしている方々かと思っていた人は、ゲートボールをしているお年寄り達でした。のどかですねえ(*^_^*)。

10建物跡

石塁と外郭南門
正面には外郭南門の門柱が設置され、その両側には石塁が復元されています。
13石塁と外郭南門

石塁
石塁に使用されている石は、当時、これほどの技術があったのか疑問なほど大きな石が使用されていますが、西側の石塁の下部は1200年前の実物遺構だそうです。
15石塁

外郭南門と政庁への石段
外郭南門も石段も実に立派なものだったようです。
17外郭南門

石段上(政庁前)から振り返って外郭南門前の官衙域を
政庁のあった長森は、それほど高い丘ではありませんが、遥か遠くまで見渡すことができます。
18政庁から見下ろす

政庁跡
政庁跡は、柱が建てられ建物跡が平面表示されています。
19政庁跡

正殿跡
政庁は南に面した正殿を中心に、東脇殿、西脇殿がコの字型に配置されていたそうです。
21正殿跡

政庁東方建物群
政庁の東の、もう少し高い部分にも建物群が発掘されたそうです。ここでは、竪穴住居跡などが発見され、文字が書かれた土器や漆紙ぶにょが出土したそうで、役所の一部として利用されていたようです。
23政庁東方建物群

外郭東門復元表示
25外郭東門

外郭北門復元表示
外郭北門は復元表示の工事中でした。手前に「内柵」と刻まれた石碑が立っていますが、これは昭和6年(1931)の国史跡指定後に旧高梨村が保存と公開のために建てたものだそうです。呼称変更となり、「内柵」は「外郭」と読み替えます。
尚、昭和5年の発掘調査では、外柵及び外郭の合計8つの門のうち、外柵の東西南北の4門とこの外郭北門だけが見付かったのだそうです。

27外郭北門

ホイド清水
政庁の北西に湧水があり、地元では古くから「ホイド清水」と呼ばれています。発掘調査の結果、古代にも井戸として利用されていたことが分かりました。井戸の向こうには堀跡と思われるようなのも見えます。
31井戸

外郭西門復元表示と復元板塀
33外郭西門

鍛冶工房域
長森丘陵の西側では塁段に整地面が造成され、多数の鍛冶工房が営まれていたそうで、鍛冶炉の数は250基もあったそうです。
35鍛冶工房跡

石切場跡
鍛冶工房域の東側には石切場跡が露出しています。外郭南門脇の石塁の石が切り出された場所と考えられているそうです。
37石切り場

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