下総 千葉城(千葉市)

模擬天守(郷土資料館)

名門千葉氏宗家、340年余の居城

別名

亥鼻城(いのはなじょう)、猪鼻城(いのはなじょう)、湯の花城

所在地

千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1

形状

平山城(丘城)

現状・遺構等

現状;千葉市立郷土博物館、市街地
遺構等:模擬天守(郷土資料館)、土塁、石碑、説明板

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2006/11/04

歴史等

千葉一族の起こりは桓武天皇の血を引く高望王の子・平良文から発しているとされる。良文の孫・ 忠常が初めて千葉の苗字を称し千葉氏初代とされる。忠常の子孫は、房総半島の上総や下総で勢力を広げる一方、源氏に従って「前九年の役」や 「後三年の役」に参加し源氏との結びつきを強くする。そして大治元年(1126)、5代常重が大椎 (千葉市大椎)から下総千葉郡(千葉市亥鼻)に移り亥鼻(猪鼻)城を築城した。
しかし、源義朝が「平治の乱」で敗れると、土地の支配権は常陸の豪族・佐竹氏に取られてしまった。
治承4年(1180)、源頼朝が源氏の再起を念じ兵を挙げたが、「石橋山の戦い」に敗れ房総の地に落ち延びてきた。この時、千葉常胤父子は、 頼朝の挙兵に応じ、これを温かく迎えた。常胤のこの決断が他の豪族の士気をあおり、頼朝をめぐる情勢を有利に導いていった。平家追討、 奥州討ちで常胤は軍勢を挙げ、頼朝が鎌倉幕府を開くや、功労者として下総の守護職に任ぜられ、千葉介の官位も認められ、下総、 上総国をはじめ全国各地に広大な所領を得た。これらの領地は、その後6人の子が受け継ぎ、これを千葉六党といい、 惣領である千葉介を中心に強力に一族が団結した。
しかしその後、千葉氏は分立・独立していき室町時代に入ると、次第に衰退していった。 鎌倉公方足利氏とその補佐役である関東管領上杉氏の間に内紛が生ずると、その争いに巻き込まれて両派に分かれて争うようになった。 応永23年(1416)千葉介兼胤は、父満胤と共に上杉氏に与して鎌倉公方足利持氏に抗したが、敗れて屈した。
康正元年(1455)に公方派であった千葉一族の馬加康胤(まくわりやすたね)や原胤房は、上杉派であった兼胤の子胤直の居城・ 亥鼻城を攻めた。この戦いで館も焼け落ち、330年にわたり繁栄した城下町も灰燼に帰し、本家・胤直一族は滅びた。 馬加康胤は千葉介を称して本家を継承するが、将軍足利義政は千葉氏の内紛解決のために一族東常縁を派遣、康胤は翌年敗死した。一方、 胤直の甥実胤・自胤は武蔵に逃れ武蔵千葉氏の祖となる。
千葉氏宗家を継承した康胤の孫輔胤、その子孝胤は、文明年間(1469~1487)末頃、亥鼻城を廃し、 本拠地を印旛郡酒々井町の本佐倉城に移し、 下総国一帯に勢力をふるっていたが、第一次国府台合戦、 第二次国府台合戦を経て戦国時代後期には後北条氏に従うことになった。
天正18年(1590)、千葉氏最後の当主であった千葉介重胤は、豊臣秀吉による小田原征伐の際、小田原城に籠城したため所領を没収。 寛永10年(1633)年江戸に病没して、千葉氏宗家は断絶した。こうして関東の名族として重きをなした千葉氏は滅亡し、 約470年にわたる下総国を中心とした房総半島北部の支配に終止符を打った。
『「歴史と旅、戦国大名家総覧(秋田書店刊)」、「郷土資料印刷物」参照』

【千葉六党
中興の祖・常胤の子6人で、惣領・千葉介胤正、次男・相馬師常、三男・武石胤盛、四男・大須賀胤信、五男・国分胤通、六男・東(木内) 胤頼をいう。

現況・登城記・感想等

模擬天守と土塁くらいしか無いことは分かってはいたが、名門千葉氏の城でもあり、一度は来て見ようかなとは思っていた。
亥鼻城はそれほど高くもない丘の上にあるが、千葉は非常に平坦なので、いろんな場所から望めることが出来るし、 また天守展望台からも四方が遠くまで眺めることが出来る。
遺構といえば、妙に綺麗に整備された土塁くらいのもので、あまり見どころはない。
模擬天守(郷土資料館)は予想していたよりも随分大きかった。ただ、郷土資料館には「千葉氏の歴史」が常設展示されており、 ボランティアの方が非常に丁寧に教えてくれる。しかも、資料(30枚ほどの印刷物)が無料で貰える。しかも入城料金はわずか60円である。 さすが、大都市千葉の郷土資料館である。(2006/11/04登城して)

ギャラリー

遠景(モノレール県庁前駅から、ズームアップして)
千葉は平坦なこともあり、亥鼻城はそれほど高い丘にあるわけでもないが、いろんな所から望める。

本丸と土塁
これらが唯一の遺構と云えるかな

千葉常胤銅像
まさに、千葉氏中興の祖といえる人物の像

土塁
これらの土塁もあまり綺麗に整備されているので、 郷土資料館のボランティアの方に聞くまで現存遺構かどうか分からなかった。
 

神明社
物見台跡との話もある。最西端にあり、やや高くなっており、木々の間からの眺望もまあまあ。
 

猪鼻城石碑(神明社の入口隅にひっそりと)

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コメント

夏美(2019/10/12)

是非一度行って見たいです。

タクジロー(2019/10/21)

夏美さま
街の真ん中で行きやすいですから是非、登城してみて下さい。
模擬天守ですが、天守は資料館になっており、無料で頂ける資料もあり、お得です。

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