越後 与板城(長岡市)

実城・二の郭間の堀切

知将・直江兼続の居城

別名

直江山城

所在地

長岡市与板町与板(法立寺横の八坂神社から登城可、無料駐車場有り)
法立寺:与板町与板乙933-1、 電話0258-72-2395
駐車場:八坂神社前の道路を北へ約50m進んだ最初の曲がり角を右折して100m強進んだ突き当り

形状

山城(標高107m 比高80m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸、狼煙台、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2009/05/24

歴史等

戦国時代、与板を領した直江家3代の実綱(景綱)・信綱・兼続は上杉家の重臣として活躍した。
与板城は、天正年間(年数は不明)に景綱が築城し移った。尚、この時に本与板城が廃城になったのか、以降も暫く使用していたのかは不明である。
景綱は守護代長尾為景・晴景・景虎(謙信)に仕え戦功があった。
景綱に嗣子がなかったので、一人娘おせんの方の婿に上野国総社長尾景定の子信綱を迎えた。ところが、天正9年(1581)、 春日山城で論功行賞のもつれから毛利秀広に殺された。
上杉景勝は名門直江家が断絶するのを惜しみ、樋口与六(兼続)を信綱の未亡人おせんの方と結婚させ、直江家を継がせた。
兼続は、永禄3年(1560)に坂戸城主長尾政景の家臣樋口兼豊の子として誕生した。学を好み文化人と交わり、手工業、鉄砲鋳造、農業等にも力を入れ、富国強兵に努めた。
景勝が豊臣政権下で大大名になれたのは、家老兼続があったからといっても過言ではない。
慶長3年(1598)、景勝の会津若松城移封にともない、兼続も同行して米沢城に入ったため、与板城は廃城となった。
『「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

与板城は、基本的には連郭式山城で、主郭部は、尾根上を南北に実城、二の郭、三の郭等と続き、それら曲輪間を堀切で断ち切っている。
さらに、主郭部の北東部や南東部には、多くの腰曲輪が設けられた大規模な山城である。
城へは、北東の八坂神社か、北の大手口から登るのが一般的なようで、実城へは15分弱で着く。
この城の見どころは、実城から南へと続く主郭部の曲輪間の堀切であろう。中でも、実城・二の郭間の堀切は幅10m、深さ6~7mほどもあり見応え充分だし、千人溜り手前にある大堀切も見事なものである。
(2009/05/24登城して)

【余談】
NHK大河ドラマの威力はすごいものだ。
与板城へは、大河ドラマによるブームになる前にと、昨年末にやってきたが、前夜のドカ雪で登城できず、今回は、そのリベンジでもあったのだが、案の定、多くの観光客がきていた。
そして町中に多くの幟がはためき、勿論与板城址にも・・・。
ところが、山頂部の実城までは観光客で一杯なのに、その奥の二の郭方面には誰一人訪れる人はいなかった。恐らく、この城の最大の見所と思われる実城のすぐ南下の堀切さえも気が付かなかったのではないだろうか?
与板城址は、登城口から実城までは、見どころはないと言っても差支えないと思う。実城へだけ登って何を感じて帰ったのだろうか?
まあ、こんなものでしょう。多分、こちらがマニアックなのだろうネ!?
(2009/05/24登城して)

ギャラリー

縄張図(現地配布資料より) ~クリックにて拡大画面に~
与板城縄張図

全景
NHK大河ドラマの威力はすごい。多くの観光客が来て、だだっ広い駐車場(写真の手前の方にある)までできていた。そして町中には多くの幟がはためき、勿論与板城址にも・・・。正面の山が与板城址。
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登城口
城の北東山麓の八坂神社から登りました
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石段を登ると、社脇に杖が用意されていました。
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竪堀
社脇から2~3分ほど登ると、右手に竪堀が現れます。
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おせん清水
さらに6~7分ほど進むと、右下に「おせん清水」が。兼続の夫人おせんの方は、この清水でお茶をたてたと伝えられ、「おせん清水」と呼ばれるそうだ。急崖のため、進入禁止になっています。
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門跡
そして、さらに少し進むと門跡へ出ます。
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実城東下の腰曲輪
門跡から3分ほどで実城東下の腰曲輪に到着します。実城との高低差は7-8mほどです。
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実城
実城には城山稲荷神社が祀られています。北側には虎口が開き東側の腰郭と繋がっています。ここからの眺望はまあまあで、多くの観光客がたむろしていました。
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一本杉と海音寺潮五郎氏による碑
実城には、兼続が会津移封にあたり記念植樹した5本の杉のうちの1本と伝えられる樹齢400年の「城の一本杉」が今も息づいています。
また、海音寺潮五郎氏筆による「直江山城守旧城跡本丸」の石碑も立っています。
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土塁
実城に祀られている稲荷神社の背後には土塁がめぐっています。
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実城・二の郭間の堀切を実城上から
幅10m、深さ6~7mほどあり、この城の堀切の中でも最も良好に残っている。写真中央上から左上にかけては、二の郭にわずかに残る土塁。
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実城・二の郭間の堀切を堀底から
堀底に降りて見上げてもなかなか迫力がある。
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二の郭
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二の郭・三の郭間の堀切
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三の郭
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三の郭南の堀切群
三の郭から南側尾根には竪堀をともなった3つの堀切が連続し、搦手を遮断している。
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竪堀
それにしても竪堀というのは、写真に撮ると全く分からなくなってしまうものです。
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大堀切
千人溜りの手前(東側)には、大堀切があり、主郭部と完全に遮断しています。上部幅2~30mはゆうにあり、恐らく自然の谷に手を加えたものでしょうが、それでも充分見応えはあります。
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千人溜り
千人溜は凹地状の地形になっており、両側の尾根が天然の土塁の役目をしているようです。案内板に「のろし台」となっていたので、さらに進んで行くと、林道へ出ました。林道にも「のろし台」とあったので、さらに進んで行きましたが、行けども行けども出てこないので、諦めて戻りました。時間が気になったこともあるが、あまりに静かな山奥で、臆病風が出て、熊出没が心配になったというのが本当のところです(泣)。
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