伊勢 正法寺山荘(亀山市)

中央土壇北側の排水溝

平家を祖とする戦国大名関氏によって築かれた城郭寺院

読み方

しょうぼうじさんそう

所在地

三重県亀山市関町鷲山字構

形状

現状・遺構等

【現状】公園(国指定史跡)
【遺構等】曲輪、土塁、土壇、石積み、井戸、礎石、排水溝、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2007/11/24

歴史等

正法寺山荘は、羽黒山を背にして3方を小野川の清流が流れ、自然の要害となるこの地へ、関氏一族の武将関盛貞によって永正(1504~)のはじめに築かれた。
関氏一族は平家を祖とし、室町時代、鈴鹿川一帯に勢力を伸ばして関氏を名乗るようになる。関氏の本城は若山城(亀山市若山)で、16世紀には神戸城(鈴鹿市)国府城(鈴鹿市)峯城(亀山市)、鹿伏兎城(亀山市:旧関町)も一族で固め、関5家と呼ばれる北勢随一の土豪であった。
関氏は、ここ関の地では、京都大徳寺の末寺として砦を兼ねた正法寺山荘の創建や町造りに努力してきたが、やがて織田・豊臣氏による全国統一の前に衰退の運命をたどった。
正法寺山荘では、昭和52年より10年間にわたる発掘調査の結果、4棟の建物址、石積みされた排水溝、井戸などが検出され、また北宋銭・明銭・笄・釘・瓦・天目茶碗・青磁・白磁・染付皿なども出土している。
『現地説明板2箇所より』

現況・登城記・感想等

正法寺山荘跡には、礎石や排水溝・井戸などが残り、その周りを縦横無尽に土塁が巡っている。
西側の羽黒山(恐らく、往時は砦があったのであろう)を背に、他の3方は小野川によって守られている。北と南側は崖になっており、東側は土塁が築かれ、その外側下に曲輪跡らしき平坦地があり、その向こうは崖になっているようであった。
公園として、非常によく整備され、紅葉がきれいだった。
(2007/11/24訪れて)

ギャラリー

正法寺山荘の図(現地説明板より)
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土塁
正法寺山荘跡には、礎石や排水溝・井戸などが残り、その周りを縦横無尽に土塁が巡っている。
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建物礎石と井戸跡(北西部)
井戸跡は3箇所残っている。
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排水溝
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中央土壇と土壇への虎口(写真左の方)
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中央土壇内(北西部から撮影)
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東側の虎口
東側は土塁が築かれ、その外側下に曲輪跡らしき平坦地があり、その向こうは崖になっているようであった。
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東側一段下にある曲輪跡?
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