大隅 平山城(姶良市)

平山城主郭周囲の土塁と城址碑

京都の石清水善法寺了清が神領管理のために大隅国に下向して築いた山城

別名

平安城、帖佐本城、内城

所在地

鹿児島県姶良市鍋倉
【アクセス】
帖佐館(帖佐小学校の西側の道を300mほど北進した突き当たり)の東側の道を、北へ道なりに1.5kmほど登って行くと帖佐八幡宮に着く。途中、二手に分かれるところがあるが、右の道へ入って行く。帖佐八幡宮周辺一帯が城跡で、神社の駐車場がある。帖佐小学校の校門前に、帖佐地区観光案内板があり地図が載っているので参考にして下さい。
帖佐小学校:姶良市鍋倉663、電話0995-65-2037
(帖佐地区観光案内板)
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形状

山城(122m)

現状・遺構等

【現状】 帖佐八幡宮、山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、堀切、標柱(解説付き)

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2012/11/17

歴史等

往古、大隅国には諸所に京都の石清水八幡宮の領地があったが、弘安年間(1278~88)に石清水善法寺了清が神領管理のために大隅国に下向し、神領を司り、さらには平山村の領家職となって平山氏を称し、平山城を築いた。
了清の子孫は代々平山城を居城として栄えたが、9代平山武豊が、享徳年間(1452~55)に島津忠国に反抗したため指宿に移された。
その後は、忠国の弟・島津季久、次いで季久の次男・忠康が入城したが、それぞれ瓜生野城、松山城へ移った。
明応4年(1495)には、川上忠直が帖佐辺川村を領した。
同年6月、加治木城の加治木久平が平山城を襲ったが、忠直は支城の高尾城に立て籠って堅く守り、その後、島津忠昌が大軍で押し寄せ撃退した。川上忠直は戦功により帖佐の地頭を任じられ、領地の名から辺川忠直と改名した。
しかし、大永6年(1526)、忠直は、今度は島津忠良(日新斉)に叛いて、島津実久に加担したため、忠良に攻められ討死した。
そのあとには、伊地知重辰が地頭になったが、享禄2年(1529)、祁答院重武が平山城を攻め落とし、重武の子・良重まで2代が帖佐を領した。
しかし、弘治元年(1555)正月、島津貴久に攻められ落城した。
『「日本城郭大系18」、「現地城址標柱」ほか参照』

現況・登城記・感想等

平山城は、標高約122mのシラス台地を刻む自然の浸食谷や空堀によって区切られた、本丸・二の丸(中の城)・平安城・荒神城・鶴丸城・松尾城・小城・櫓の城・賀茂城・東の城・玄蕃城・南城・高尾城・引陣など、大小30の曲輪からなる大規模な山城で、広大な城域を有しているという。
しかし、本丸跡と思われる八幡神社周辺を除き、どの曲輪も鬱蒼とした雑木林に覆われていて、見て廻るのは、どだい無理です(;>_<;)。
それでも、壮大な山城だというのは想像できる。知覧城跡や伊作城跡のように、本丸周囲の主だった曲輪だけでも整備されたら、随分見応えのある素晴らしい城跡になるだろう。
尚、境内には、石清水善法寺了清(平山了清)が平山城を築いて、城内に八幡宮を創建した頃に植えられたという樹齢700年を数える大銀杏が聳えている。
(2012/11/17登城して)

ギャラリー

切通し
帖佐館跡の東側を通る道を北進すると、徐々に山の中へ入って行く。そして、切通しが現れる。
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高尾城
さらに進んでいくと、左手に高尾城跡の標柱が現れる。ここが平山城の支城・高尾城への登り口である。
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天然?の切岸
さらに進んで行くと鬱蒼とした山中になり、左上を見ると、強烈な崖になっている。シラス台地の浸食谷で、既に、城域に入っているようだ。
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平山城跡(帖佐八幡宮)に到着
鬱蒼とした山道を、さらに登って行くと、左側に平山城跡である帖佐八幡宮があり、駐車場もある。
写真手前が神社で、道の向こうも平山城の曲輪の一つであろう。また、道は空堀跡であろう。

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空堀
神社の駐車場に車を停めて、神社の方へ向かって行くと、左下に空堀が見える。案内板には「平安城」とある。空堀の向こう側の高台が、曲輪の一つである平安城跡だろうか。
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空堀下へ
空堀下へ下りて行くと、空堀の底は、比較的、藪や雑木も少なく、堀底道のようになっている。このまま、堀底道を進んで行こうかとも思ったが、周りがあまりにも鬱蒼としていて、気味悪い( ̄ー ̄;。一人での登城でもあるし、止めた(/。ヽ)。
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土塁
堀底から戻り、神社の方へ向かって行くと、左側に高さ1.5mほどの土塁が設けられているのを確認。この土塁は、社殿の方まで延びている。
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神社社殿
神社社殿の前には大銀杏の木が聳え、その横に城址標柱(TOP写真参照)が立っている。
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大銀杏
大銀杏は、高さ14.5m、樹幹目通り7.1m、根回り11.4mある。石清水善法寺了清(平山了清)が平山城を築いて、城内に八幡宮を創建した弘安2年(1282)頃に植えられた大銀杏で、樹齢700年を数えるといわれ、昭和38年に姶良町天然記念物に指定された。
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社殿背後の土塁
土塁は、境内の周囲をめぐっており、社殿背後の土塁も良好に残っている。
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