近江 観音寺城(近江八幡市安土町)

平井丸虎口石垣

六角氏による全国屈指の規模の中世山城、石垣が多く残る

所在地

滋賀県近江八幡市安土町石寺

形状

山城(標高432m、比高差350m)

現状・遺構等

現状:山林、観音正寺、桑見寺等
遺構等:本丸・平井丸・落合丸・池田丸・淡路丸などの郭跡群、土塁、石垣、井戸、門跡、石碑、説明板

満足度

★★★★★

訪城日

1997/08/02
2010/01/28

歴史等

観音寺城は、近江守護職・名門佐々木六角氏の居城である。
六角氏はの起こりは、近江源氏佐々木氏の嫡流信綱が、京都六角堂に館を構えたことにはじまる。信綱には四子がいて、長男重綱は大原家、次男高信は高島家、四男氏信は京極家に分かれ、それぞれ独立した。
観音寺城は、建武2年(1335)、ときの六角氏頼が、奥州から攻め上がってきた南朝の北畠顕家軍を防ぐため築城したと云われる。以後、幾度となく改修の手が加えられたが、ほぼ完全な構えをもつ城に完成したのは戦国初期の頃の定頼の時である。
観音寺城は、湖東平野に聳え立つ独立峰に築かれ、背後には琵琶湖最大の内湖を控えて、中山道を押さえる戦略的要衝をなし、周辺に散らばる箕作城、長光寺城(瓶割山城)等が支城の役割を果たしていた。
応仁の乱では、六角高頼は西軍山名氏につき、東軍細川氏についた京極持清とは守護職を争う結果になった。戦況は高頼に有利に進んだ。そして持清が死ぬと、名実ともに近江の実権を握った高頼は、公然と山門や公卿領を侵食しだした。これに対して、幕府は長享元年(1487)の足利義尚と、延徳3年(1491)の足利義材とによる2度の討伐戦を行っているが、いずれも六角氏は、さっさと甲賀山中に逃げて、ゲリラ戦を挑み、幕府軍を悩ませた。その後も、高頼・定頼父子は山門や公卿領を侵食し、戦国乱世に生きる大名家の基礎を固めた。
天文21年(1552)定頼が没し、跡を継承した義賢の代になると、鉄砲が伝来。義賢は鉄砲に備えてほぼ全山を城域として、石塁をめぐらし、大小無数の郭を構築した中世山城へと大修築を行った。
永禄11年(1568)9月になると、六角氏は大変な危機を迎えた。かねてより上洛の機会をうかがっていた織田信長が行動を起こしたのである。それを阻むべく、承禎(義賢)・義治父子は要害の観音寺城に籠り、湖東平野に散在する支城を連ねて抗戦したが、圧倒的な織田軍が簡単に箕作城を葬ると、承禎はさっさと城を捨て、甲賀山中(* 三雲城参照)に逃げ込んだ。
六角氏は、攻撃を受けると甲賀へ身を潜め、敵が去ると戻ることを繰り返してきた。しかし、今度ばかりは戻ることは出来なかった。要害の観音寺城は、その実力のほどを示すことなく歴史に埋もれてしまったのである。
『「歴史と旅・戦国大名総覧(秋田書店刊)」、「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」等参照』

日本五大山城

この城は典型的な山城であり、江戸時代以降も存続していた山城の代表格「日本3大山城」に対し、戦国期にその役割を終えた山城を選りすぐった「日本五大山城」の一つにも数えられています。
日本5大山城
月山富田城
七尾城
越後春日山城
小谷城
観音寺城
小谷城の代わりに八王子城を入れて日本5大山城という場合もある。

現況・登城記・感想等

観音寺城は、標高432m、比高350mの独立丘陵の繖山(きぬがさやま)の南斜面に築かれた壮大な山城である。
山頂近くの本丸を中心に、扇を開いたように多くの曲輪が配置され、その曲輪の数は1千以上もあると言われるている。
城の中枢部は、本丸・平井丸・池田丸辺りで、これらの曲輪は、面積が広く、周囲を石塁がめぐっている。中でも、平井丸の虎口周辺は巨石も用いられた立派なものだ。
これら中枢部に限らず、城郭内は石、或いは石組み、石積み、石垣だらけだ。
石垣が多用された城郭としては安土城よりも早いが、一方で、防御面では疑問が残る。
繖山は緩やかな山容の外観に較べて、実際には非常に急峻で、天然の要害地であるとはいえ、大規模な城郭のわりに各虎口は単純なもので、竪堀などもなく防御施設は貧弱である。防備のための城というよりも、権威づけ、政治色の強い城であったようだ。
六角氏が、有事に際しては観音寺城で戦うことをせず、甲賀へ退いて、勢力の回復を待ち、帰城する戦術を常としていたというのも頷ける。
また、あまりにも城郭が広すぎて、城を守るのには多くの兵を必要とする。絶大な権力を持っている間はよいが、勢力が弱くなると兵の動員もままならなくなる。それ故、信長に攻められた時には、ろくに籠城もできずに甲賀へ敗走することになったのではなかろうか?
(2010/01/28)

登城記

「この城はすごい。」この一言である。標高432mの繖山山頂の本丸をはじめ、平井丸、落合丸、池田丸などの曲輪跡に石垣が残り、全山に散在する曲輪と家臣団の邸跡の総数が1000を超える壮大な山城である。
残念ながら、今回も登城口が分からず「私の山城登城の鉄則:山城は麓から登るべし」をまた破ってしまった。車で観音正寺近くまで登り、そこから山頂にある本丸へと歩いて行った。そこから本丸への途中にも、いくつもの曲輪跡があり、石垣が残っており、また多くの石が転がっていた。本丸の石垣もかなり崩れてはいたが、戦国時代当時としては、かなり大規模であり高度なものである。
この城は、日本の石垣城の起源とされる城だそうで、山頂一帯だけでなく全山に大規模な石垣を持った城郭が残っているそうである。全てを見て廻るには相当な時間が掛かりそうである。1日たっぷりかけてじっくり見て廻らないと無理かもしれない。しかし、その価値は充分あるようである。必ず、近いうちに再訪しよう。
(1997/08/02登城して)

12年半ぶりの登城だ。
1日かけてじっくり廻りたいと思っていたのだが、朝から生憎の雨で、雨が止んだ午後2時近くになっての登城になってしまった。
あまり時間がないので、山の頂上部に近い観音正寺脇から登城しようと思ったが、道路工事中のため途中から進入禁止。携帯で観光協会に尋ねたところ歩行でも入って行けないとのことで、止むを得ず、山麓から桑実寺経由で登ることにした。
山麓から、穴太積みの石段をひたすら登ること15分で桑実寺へ到着。
ここから、いよいよ山中へ入って行くが、ここからも山上まで石段が築かれている。山上に近くなるに従って、その石が崩れている所が多くなるが、これだけの長い距離を寸断なく石段を敷き詰めてあるだけでも見事だ。
そして、桑実寺から登ること、約20分で本丸跡へ到着。
時間が、あまりなかったので、本丸を見て廻ったあと、観音正寺、平井丸、落合丸、池田丸だけ見て廻って下山することとなってしまった。
おまけに、濃い靄のため、すぐ傍の写真でさえもよく撮れなかった。また、再登城して、じっくり見て廻りたいものだ。
(2010/01/28登城して)

ギャラリー

観音寺城の図
観音寺城 

【登城記】
進入禁止w(*゚o゚*)w
1日かけてじっくり廻りたいと思っていたのだが、朝から生憎の雨で、雨が止んだ午後2時近くになっての登城になってしまった。
あまり時間がないので、山の頂上部に近い観音正寺脇から登城しようと思ったが、道路工事中のため途中から進入禁止。携帯で観光協会に尋ねたところ歩行でも入って行けないとのことで、止むを得ず、山麓から桑実寺経由で登ることにした。
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桑実寺への石段
山麓から桑実寺まで、穴太積みの石段をひたすら登って行く。この石段、朝からの雨で、とにかく、やたらと滑りやすくて参った~!
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桑実寺
山麓から石段を急ぎ足で、ひたすら登ること約15分で桑実寺に到着。本丸まで10丁、ここが4丁目だそうだ。お寺の方の話によると、一般には、ここまで20~25分かかるそうだ。時間に余裕がなく、如何に急いで登ってきたかが分かる?疲れた~! 観音寺城へは、右に見える石段を登って行く。
尚、桑実寺は観音寺城の佐々木六角氏との係わりも深く、天文元年(1532)には13代将軍足利義晴が、戦乱を避け当寺に仮幕府を置いたこともある。
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登城道
ここから、いよいよ山中へ入って行くが、ここからも山上まで石段が築かれている。山上に近くなるに従って、その石が崩れている所が多くなるが、これだけの長い距離を寸断なく石段を敷き詰めてあるだけでも見事だ。
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石垣
登り始めて30分強(桑実寺からは20分弱)、石垣などが見え始め、城域に入ったのを感じる。
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大夫井戸と石垣
さらに5分程登って来ると大夫井戸と石垣が・・・。本丸搦手の食い違い虎口の外側下にある井戸で、その上の道も石垣で固められ、いよいよ城郭中枢部近くに入ったことを感じる。
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大夫井戸
井戸は精巧な石垣で組まれている。
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本丸搦手虎口
いよいよ本丸搦手虎口へ・・・。観音寺城の多くの虎口が平虎口なのに対して、この虎口は喰い違い虎口になっている。
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本丸搦手虎口脇の石垣
石垣の高さは3mほどあり、配水用の水路?(写真中央部)も
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本丸
石塁で囲まれた広~い曲輪だ。
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本丸南側石塁前に残る溜枡跡?
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本丸南側の苔むした大手道石段
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平井丸の虎口
平井丸の虎口近辺に用いられた石は、かなり大きく、見応えがある。それにしても、ここにきてますます濃くなった靄が邪魔だ(怒or泣)
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平井丸虎口周囲の石垣と石段
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平井丸埋門
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平井丸跡
平井丸跡は鬱蒼とした雑木林になっている。
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落合屋敷跡
落合屋敷は平井丸と池田丸の間という城の中枢部にあるが、それほど広くはない。
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池田丸
池田丸は、平井丸と違って、雑木も少なく、周囲を石塁で囲まれているのが分かりやすい。そして、兎に角、広~い!
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池田丸南側の石塁
この辺りの石垣は、割り合い良好な形で残っている。
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池田丸西虎口から南側にかけての石塁
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池田丸内の謎の石組み
池田丸の中央辺りに謎の石組みを発見!説明板もなく、何か分からないが、何かの「地下蔵」だったのだろうか?
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